TWEET「結界を設ける」

「栂尾 高山寺」で買った、『鳥獣戯画』の一場面が描かれた、緑色の暖簾(のれん)をつるした。その上に、漱石自書のコピー、「則天去私 漱石」と書かれた “お神札 ” をピン留めした。
 結界が完成した。これで二階の八畳一間と六畳一間が聖域になった。
 私はもっぱら南に面した八畳間で籠城を決めこんでいる。ベッドの横には長テーブルが置いてあり、その長テーブルが私の机であり、ベッドのマットレスが私の椅子である。足元には、幾つもの本の山があり、無造作に足を動かすと山崩れが起こる。テーブルの上には雑多な物が置いてあるが、占有率が高いのはやはり書籍である。また、ダブルベッドの右半分は、書籍と衣類で占められ、私は一人用のテントの半分のスペースで寝起きしている。しかし、不自由を感じたことはない。一度ベッドから落ちたことがあるが、事情を理解するまでに時間がかかった。とにかく、本の背表紙を眺めて暮らさないと、落ち着かない。かといって、これ以上 書棚を置く余地はない。
 他にも症状がある。
 郵送されてきた郵便物を開封することに嫌悪感を覚える。「重要」,「親展」と朱書されていようが、「矢印の方向へゆっくりはがしてご覧ください」と記入されていようが、お構いなしである。年に数回、まとめて開封するが、時すでに遅く、そのままゴミ箱行きである。郵便物が私の部屋を汚(けが)す一因になっている。
 内田百閒は、やはり郵便物嫌いだった。百閒先生は、その都度 郵便物を鞄に入れ、鞄がいっぱいになると、その鞄ごとゴミ箱に捨て、新しい鞄を買う、ということを繰り返されていたという。所詮 私の適う相手ではない。
 結界を張った以上は、聖域は清浄にしておくべきであることは承知しているが、この蒸し暑い最中(さなか)に、汗みずくになって動くのは気が滅入るなどと思っているうちに、この為体(ていたらく)である。
 結界を設けてから、五日目の今日、愚にもつかないことを考えながら、いま西陽に照らされている。(812文字)

◆ 内田百閒『蜻蛉玉 内田百閒集成 15』ちくま文庫
◆ 内田百閒『百鬼園随筆』福武文庫
百閒先生の話題は、上記の二冊の、どちらかの随筆集に載っていた、と記憶しているが、行方不明である。