「紀野一義『岡潔を語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

岡潔「宗教と数学」
岡潔『春宵十話』角川文庫
「終戦の翌年宗教に入り、なむあみだぶつをとなえて木魚をたたく生活をしばらく続けた。こうしたある日、おつとめのあとで考えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときのわかり方(数学的発見)は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸を入れたときのように、いちめんにあったものが固まりになって分かれてしまったといったふうだった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなったという感じだった。だから宗教の修行が数学の発展に役立つのではないかという疑問がいまでも残っている。」(35-36頁)
「文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。
(中略)
これに対して東洋は情操が主になっている。
(中略)
木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。
 情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁)

紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書
「岡潔先生は、幕末から明治にかけて浄土宗に現れた弁栄聖者(べんねいせいじゃ)という人を最も尊敬していた。(中略)弁栄聖者には『無辺光(むへんこう)』という、すばらしい、啓示的な名著がある。
(中略)
 そこに書いてあることを要約していえば、宇宙の中心は一大心霊(しんれい)(一大観念)であり、この一大心霊が、自己を客観化して世界をあらしめ、その世界の中に自然界や動物界や人間をあらしめた。そして、自己が主観となってこの世界を眺めるのである。人間には、一大心霊と同質の「心」というものが与えられ、人間は、その心によってこの世界を見るのである。その「心」は「一大心霊」と同一のものであるから、世界を眺めるとき、その世界は人の心の中にあると感得されるはずである。」(52-53頁)
「(朝比奈宗源老師の)不生不滅の世界は、(盤珪禅師の)不生にして霊明なる仏心の世界である、弁栄聖者は、宇宙の中心にある一大心霊が自己を客観化してこの世界を造ったというのだから、不生も不滅もない、一大心霊そのまんまである。」(145頁)
 岡潔の宗教的背景が明らかになった。
「日本人の南無阿弥陀仏は、木魚をうつことによって称えられる。木魚をうつのはただ拍子をとるためばかりではない。うつ人と、木魚と、南無阿弥陀仏とひとつになるのである。そこに大自然に生かされている念仏というものがある。」(99-100頁)
「自己の心源を開発(かいほつ)して、全く大円鏡智の光明に照らさるる時は、自己の本心すなわち一大観念にて、一体不二、宇宙一貫して無碍(むげ)なることを観見す。これを鏡智下に摂取せられたる人とす。之を識を転じて智と為るものとす。」(弁栄聖者『無辺光 54頁)

 岡潔にとっての数学とは「道」であった。「情操」「境地」が問われる世界にあって、哲学・宗教を志向するのは当然の帰結であった、といえよう。
「自己の本心すなわち一大観念にて、一体不二、宇宙一貫して無碍(むげ)なることを観見」したとき、「物が非常に見やすくなったという感じだった」との感懐を抱いたのは、ごく自然の成り行きだった、と感じている。

紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書
「岡潔先生が言っていたが、芸術作品を理解するやり方は、信解(しんげ)、情解(じょうげ)、知解(ちげ)という順だそうである。
 たとえば、良寛の書いた『天上大風』という字を見ていると、何だかよく分らないけれども、これは真正のものだとすぐに信じてしまう。これが「信解」というものだという。
 次に、見ていると、気持がよくなり、すがすがしくなり、大らかになる。これが「情解」というものだという。
 あくる日になると、風が左から右に吹いているのだなということまで分るようになる。これが「知解」だというのである。
 岡潔先生は、この「信解」の出所として、道元の『正法眼蔵』恁麼(いんも)の巻であると明記しておられた。」(159-160頁)