「紀野一義『ラビ・シャンカルを語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

『ラビ・シャンカルを語る」
紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所
(インドの天才的なシタール奏者)ラビ・シャンカルが昭和五十年に日本にやってきて、シタールの演奏で多くの日本人の心を魅了した。その時私も彼の名演奏を聴いた。ステージに坐(すわ)っていながら、インドの草原に坐って風の響きに耳を傾け、風のささやきに和して演奏しているような自然な姿を見せてくれた。
 ラビ・シャンカルは、その自伝的な著『わが人生わが音楽』の中でこう言っている。

 古い書物を読むと、音には二つの種類 ー 一つは天空の、または天空に近い、いっそう澄んだ大気の振動、もう一つは地に近い、より低い大気の振動である。
 天空の振動については、ピタゴラスが紀元前六世紀に書き表した天球の音楽と同様なものだと考えている人もある。これは常に存在し、変わらない宇宙の音である。この音は何ら物理的な衝撃によって生まれたものではないので、アナハタ・ナーダすなわち「無為の音」とよばれている。もう一種類の音は常に物理的な衝撃によっているところから、アーハタ・ナーダすなわち「有為(うい)の音とよばれる。後者の場合には、ある瞬間に振動が与えられると音が作り出され、振動が止むと同時に音も消える。
 無為の音はヨーギにとってはたいへん重要なものだ。それは彼らが内面から聞きたいと求めている永遠の音で、長年にわたる思索とヨーガの鍛錬を経て、はじめて達成可能となるのである。(162-163頁)

 天上にあって、人間の耳にはきこえない音が鳴っているのを、大乗仏典では「諸天、天鼓を撃つ」と言っている。インドでは昔からそういう音に気づいていたのである。(163頁)

 ラビ・シャンカルは、音楽の最も高い目標は、宇宙が映し出しているその本質を示すことであり、音楽を通して神に到達することも可能なのである、と言っているが、武満徹は、「これを、西欧音楽の在り方とは本質的に異なることであるように思われる。それはまた、わたしたち日本音楽とも異なるのである」と言っている。(164頁)

「Itunes Store」または、「Amazon Music」内を検索し早速購入しようと思っている。圧縮音源であるが、便利さにはかえられない。CD を購入するかどうかは「試聴」後のことである。