投稿

2月, 2026の投稿を表示しています

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/18

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/18   和歌における「見る」働きに、実存的ともいえる特別な意味を込めて論じたのが、白川静だった。新古今あるいは万葉にある、「眺め」、「見ゆ」という視覚的営為に、二人(白川静と井筒俊彦)が共に日本人の根源的態度を認識しているのは興味深い。この符合は、単なる学術的帰結であるよりも、実存的経験の一致に由来するのだろう。  井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい。  以下に引くのは白川の『初期万葉論』の一節である。  前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 〔中略〕  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である。  「『見る』ことの呪歌的性格は『見れど飽かぬ』という表現によっていっそう強められる」とも白川は書いている。  井筒、白川の二人が和歌、すなわち日本の詩の源泉に発見したのは、芸術的表現の極ではなく、「日本的霊性」の顕現だった。 (中略)  白川は文字を「見る」ことから始めた。文字の前に佇み、何ごとかが動き出すまで、離れない。次に彼が行ったのは、ひたすらにそれを書き写すことである。すると文字は自らを語り始めると白川は考えた。井筒もまた、同じ姿勢で、テクストに対峙したのではなかったか。 (中略)   学問とは知識の獲得ではなく、叡智の顕現を準備することであるという態度において井筒俊彦と白川静は高次の一致を現出している。(251-253頁) 唐突」にも、白川静でした。思いもかけず、両氏の符合でした。

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/17

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/17  すべて名づけられたものはその実体をもつ。文字はこのようにして、実在の世界と不可分の関係において対応する。ことばの形成でなく、ことばの意味する実体そのものの表示にほかならない。ことばにことだまがあるように、文字もまたそのような呪能をもつものであった。  井筒が書いたのではない。『漢字百話』中の白川静による文章である。 (中略)  呪の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。白川は「呪能」と同義で「呪鎮」という表現を用いることもある。  白川静を登場させるのは唐突に見えるかもしれない。しかし、「コトバ」、文字に対峙する態度はもちろん、孔子、荘子、屈原、あるいはパウロといった人物について、あるいは詩経、万葉集、和歌誕生の来歴、すなわち詩論など論じた主題と対象、発言を並べてみれば、交わりがなかったことがかえって不思議に思われるほど二人(井筒と白川)の論説は呼応している。  文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし、聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。(白川静『漢字』岩波新書)(241-241頁)  井筒と白川の間に見るべきは言語観の一致だけではない。むしろ、両者の「神」経験の実相である。「文字は神であった」以上、それを論じる学問が、神秘学、すなわち高次の神学になることは白川には当然の帰結だった。井筒俊彦にとってもまた同じである。言語学 ー 「コトバ」の学 ー に井筒俊彦が発見していたものも、現代の「神」学に他ならない。  井筒は、ヴァイスゲルバーとサピア=ウォーフが、何の直接的な交わりもないにもかかわらず、ほぼ同じ時期に高次な同質な思想を構築していたことに驚き、共鳴する思想が共時的に誕生することに強く反応している。同じことは、彼自身と白川静にも言えるのである。(244頁) 「唐突」にも、白川静でした。思いもかけず...

白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社_2016/11/29

◇ すべては、「神さま」のために。 「目」のはたらき 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。  これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。 (中略)  孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。  日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。  「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。(30-33頁) ◇ 白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉にははじめて触れました。 「死」の物語 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければならなぬときを迎えます。それが「死」というものでしょう。  「死...

白川静_「泣く子も黙る「漢字」の泰斗の学問人生」_2016/11/30

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫 2016/11/30  白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。(116-117頁) (2000・5・24)