「西江雅之先生_あれこれ」
TWEET「情報とは」
西江雅之先生が、「情報に、良し悪しはありません」と講義中に何度か言われたことを覚えています。
情報とは、世の中に流布している「こと」の総称であって、優越、良し悪し、正誤といった色づけされる以前のものの「こと」です。
早大の三年次に西江雅之先生の「文化人類学」の講義を受講しました。講義はいつも恥じらいのある口調ではじまりましたが、時の経過とともにことばが疾走しはじめました。「エスノセントリズム」,「エスノセントリック」という言葉をよく口にされました。
「文化人類学」の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだ際には、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、
「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」
とおっしゃられていました。
「食べられる物」と「食べる物」の違い
「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部
「食べ物」は「文化」である
「食べ物と制約」
こんな話もうかがいました。
そして、2012/11/19 には、
が出版されました。
講義中に「南方熊楠」のお話をされたことがありました。西江雅之先生が師事されたいと思っている人物は「熊楠」である、とのお話であったように記憶しています。講義後には早速書店に向かいました。当然「文化人類学」の後の二時限目の講義は欠席しました。故あってのことです。然るべきことでした。私にはまったく迷いはありませんでした。「懐の深い大学?」でした。
「そう言えば、数年前に雑誌の『文芸春秋』に、今、自分がある特定の先生につくとしたらどういう先生につきたいかという、そういうものを書けといわれて書いたんです。そのとき、ぼくは南方熊楠を書いたんです。」(158-159頁)
「“文化”という語の定義を試みよ」
「“ETHNOCENTRISM”という語を説明せよ」
というのが、前期・後期のレーポートの題名でした。
下記、当該箇所についての私の講義ノートです。
2015/06/14 にご逝去されたことを今日((2015/08/30)はじめて知りました。
西江雅之先生の「老病死」については思いもよらないことでした。
それほど精力的でした。
それほど「浮世離れ」していました。
それほどまでに「貴人」であり尊い存在でした。
訃報に接しご冥福をお祈りするばかりです。
大切な方たちが一人また一人と亡くなられていきます。
大切な方たちとのお別れが続きます。