「書生の読書」
山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫
「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である。」
これに対して、倉田卓次の読書は「社会に出ている人」,「特殊ではない一人の生活人の読書」である。「そこに生活人の読書の手本を見たように思った。」(111頁,144頁)
大学予備門(第一高等中学校、後の第一高等学校)へと進んだ正岡子規と秋山真之(さねゆき)の読書は、「書生の読書」を地で行くものだった。(司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫)
それに比し、時ところを選ばず、読み散らかしている私の読書は、年甲斐もなく、「生活人」のそれではなく、「書生っぽの読書」とでもいえる亜流のものである。やむに止まれず、救いようのないものと諦めている。