「哲学的信仰」13/13
井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書
「要するに、神秘家たちの哲学的立場は、ヤスペルスの表現を使えば一つの「哲学的信仰」(philosophischer Glaube)であります。しかしここまでくれば、どんな哲学もそれぞれの「哲学的信仰」の基礎の上にうち立てられたものといわざるを得ません」(109頁)
しかし、「神秘家たち」を、全人的に仰ぎ信じなければ、論究の端緒につくことさえできない。ここに、「哲学的信仰」という言葉の素地がみられる。
◆ 井筒俊彦『意識と本質』慶應義塾大学出版会
の跋文には、
「一度そっくり己れの身に引き受けて主体化し、その基盤の上に、自分の東洋哲学的視座とでもいうべきものを打ち立てていくこと」(307頁)
との記載がみられるが、「そっくり己れの身に引き受けて主体化」するとは、すなわち井筒俊彦の実存的体験だった。そしてここにいたったとき、「哲学的信仰」という言葉の影は薄くなる。
信仰を広義にとらえたとき、世に信仰なき者はないといえよう。私は井筒俊彦の解釈する「哲学的信仰」にしたがう。宗教、宗派、学派色からきっぱりと袖を分かった井筒による東洋「哲学的信仰」である。
幾座もが連なる山脈(やまなみ)を踏破するなかで、井筒俊彦はしだいに透きとおっていった。