春分の日に、小林秀雄「本居宣長之奥墓(おくつき)」です。

◇ 本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
と題したブログを、2016/04/03 に載せた。
◇ 小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』(12-14頁)
からの引用だった。 
 そして、 一年後の 2017/04/02 に再掲した。
 季節、時節を問わず毎日のように閲覧があり、本ブログ(22,8666件)の首位の座(1,3169件)を占めている。それは全閲覧数の 5.76% に当たる。小林秀雄が、本居宣長が、…。不可思議である。脅威である。

本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』
 諸君は本居さんのものなどお読みにならないかも知れないが、「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌くらいはご存じでしょう。この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。先(ま)ず第一、山桜を諸君ご存じですか。知らないでしょう。山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分るはずはないではないか。宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。花が咲いて、赤い葉が出ています。山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。あれは桜でも一番低級な桜なのです。今日の日本の桜の八十パーセントは染井吉野だそうです。これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類がはやったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了(しま)うわけだ。宣長さんが「山桜花」と言ったって分からないわけです。
 「匂う」という言葉もむずかしい言葉だ。これは日本人でなければ使えないような言葉と言っていいと思います。「匂う」はもともと「色が染まる」ということです。「草枕たび行く人も行き触れば匂ひぬべくも咲ける萩かも」という歌が万葉集にあります。旅行く人が旅寝をすると萩の色が袖に染まる、それを「萩が匂う」というのです。それから「照り輝く」という意味にもなるし、無論「香(か)に匂う」という、今の人が言う香り、匂いの意味にもなるのです。触覚にも言うし、視覚にも言うし、艶っぽい、元気のある盛んなありさまも「匂う」と言う。だから、山桜の花に朝日がさした時には、いかにも「匂う」という感じになるのです。花の姿や言葉の意味が正確に分らないと、この歌の味わいは分りません。
 宣長さんは遺言状の中で、お墓の格好をはじめ何から何まで詳しく指定しています。何もかも質素に質素にと指定していますが、山桜だけは本当に見事なものを植えてくれと書いています。今、お墓参りをしてみると、後の人が勝手に作ったものですが、立派な石垣などめぐらし、周りにいろいろ碑などを立てている。しかし肝腎の桜の世話などしてはいないという様子です。実に心ない業(わざ)だと思いました。
(12-14頁)

 2020/11/19 に、松阪市の「本居宣長記念館」を再訪した。2006年の春、P教授とご一緒して以来のことだった。社会見学でにぎわう小学生らと鉢合わせをしたとき覚悟した。
「鈴が欲しい」
という P教授に、七種類あるすべての鈴(「七種鈴」)をお送りするや否や退散して、「本居宣長之奥墓」に向かった。山室の妙楽寺山頂にぽつねんとしてあった。優雅だった。清潔だった。山桜は黄葉していた。
 近代批評の神さまのお小言が届いた証左だった。
 自筆とされる、刻まれた文字は優しかった。
 何時間かをひとりで過ごした。
 西陽に照らされ刻々と様相を変える墓石(ぼせき)は見ものだった。




 今日は「春分の日」に当たり、また当地ではちらほら「俗悪な」桜の花がほころびはじめたこともあり、以下に、
「なんという転倒、なんという気宇」
を再掲しておくことにした。飛び抜けていて、すてきです。

白洲正子「なんという転倒、なんという気宇_再掲です」
「ぜいたくなたのしみ」
白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社
この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。
「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。
 京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁)

 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、なんという転倒、なんという気宇。飛び抜けていて、すてきです。