白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」

中国の神話 ー 奪われたものがたり」
「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社

梅 原 白川先生の三作を選ぶとしたらね、絶対『孔子伝』は入れんならん。それに、字引ですね、字書三部作。それからもう一つは古代中国の専門的な研究だなあ、或いは『詩経』だな。(中略)ギリシア神話はよく知られてる、ローマ神話は知られてる、日本の神話は知られてるけど、中国の神話ってものがあんまり知られていないような気がしますけどね。
白 川 日本の場合には神話が一つの国家神話的な形で統一されてね、本来別々のものが何か関連があるという風な形にそれぞれ部署が与えられてね、まとめられて、そしてそういうまとまったものが神話である、という考え方が我々の中にあった。
梅 原 ギリシアもそうですね。
白 川 ところが中国のはバラバラなんですね。それは非常に古くからあった部族国家が、それぞれみな神話を持っておった。それが色々、滅ぼされたり移動したりする間にね、場合によっては受け継がれることもあるけれども、或るものは滅びてしまう、という風にしてね。まとまった形では殆ど残ってないんですね。
 ただ、しかし残されたものが、先刻言いましたように『楚辞』の中に、或いは『荘子』の中にたくさん出て来る。それから『山海経』という大変不思議な書物ね、あの中にまた色々な神像が出て来る。

白 川 (前略)本来は実際に神話として生きておった時代がある訳ですね。そういう風なものが形骸的に残ったのが『山海経』。

梅 原  日本神話というのも、実際はあちこちに語られておる神話を一つの体系にまとめたんです。非常にそこに無理があるんですけどね。中国は殷も周もそういう神話を統一するという、そういう要求を持たなかったんですかね。
白 川 それは違った神は信仰しないという考え方があるの。その神にあらざれば祀らず、というね、違った神様を祀るということは決して幸せなことでないという考え方がある。

梅 原  ギリシアでも『神統記(しんとうき)』とか、統一しようとする動きがあります。神を祀っている部族を統一しようとする要求の中から起こって来た。日本の神話も、ギリシア神話もね。中国は「神を祀らず」だから、自分の神しか出て来ない。だから神話が落ちた訳ですか。
白 川 神話が滅びるんです。
梅 原 そういう伝承を集めたのが『山海経』と考えてよろしいでしょうか。
白 川 そうそう。
梅 原 あれはけったいな本ですけれどね。(132頁)

 梅原猛が、『孔子伝』は絶対入れんならん、と言っているのは興味深い。『孔子伝』は絶対読まんならん、と思っている。「けったいな」『山海経』はちょっと横に置いておくとして、「違った神は信仰しない」「その神にあらざれば祀らず」とは潔く、殷も周も「神話を統一するという、そういう要求を持たなかった」のは、純粋な形として神話が残される格好になり、幸いだった。
 神話の喪失はどういった事態を招くか、それは神話の存在意義を解することでもある。
 共通の神々を戴くことで集合していた結束を失い、あるいは離散し、畏れ畏(かしこ)まることを忘れ、矜持は薄れ民度は低くなる。寄る辺なく寄す処(よすが)なく、活力なく、心的な安定を欠くようになる。日々神々とともに暮らしていた古代人にとって、神話の喪失は致命的であったといえよう。