白川静「三千年前の現実を見ることができる」
「三つの文化 ー 文身、子安貝、呪霊」
「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
白 川 第一にはね、殷の文化と日本の文化、これは一つの東アジア的な「沿海の文化」として捉えることが出来るのではないかと思った。
殷の文化のいちばん特徴的なものは、まず文身(ぶんしん:入青のこと。ただ文身は刺青と違って描くだけ。刻さない。)の俗があること、これは殷以降にはありません。それから貝の文化。子安貝(こやすがい)ですね。
白 川 もう一つはね、呪霊(じゅれい)という観念ですな。シャーマニズム的なね。お祭が殆どそういう性格のお祭なんです。何々のタタリに対する祭、というね。
白 川 そしてこの三つが共通した基礎的なものとして、文化の底にある。だから日本と中国は十分比較研究に値する条件を持っとる訳ですね。それで殷の文化を深く調べてみたいと。
梅 原 その大きな違いは文字があったかないかですわな。日本では文字がない訳ですね。だから民俗学的な方法によって明らかにするしか仕様がない。それで柳田(國男)・折口(信夫・おりくちしのぶ)がああいう形で日本の古代を明らかにしたんですけどね。(中略)民俗が似ているんだから、もとより文字学の成果と柳田・折口の民俗学の成果と、大変似てくる訳ですね。
白 川 柳田・折口は事実関係だけでいく訳ですけど、僕は文字を媒介としてみる訳です。
梅 原 文字を媒介にしますと、正確な答が出て来る訳ですよね。(中略)柳田・折口の民俗学は年代を考えることが出来ない。そういう弱みを持っています。先生の学問は文字を媒介としているから、年代を特定することが出来る。
白 川 日本の場合には伝承という形でしか見られないけれども、向こうの場合には文字がありますからね、文字の中に形象化された、そこに含まれておる意味というものを、その時代のままで、今我々が見ることが出来る訳です。だから三千年前の文字であるならば、その三千年前の現実をね、見ることが出来る。
白 川 そう、象形文字であるからそれが出来るんで、これが単なるスペルだったら、見ることが出来ません。
「神聖王と卜占 ー 神と人との交通」
白 川 日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。
白 川 神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でならなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。
これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある。甲骨文の場合、それは神に対して、「この問題についてどうか」という風に聞きますが、神は本当に返事をするわけじゃありませんから、自分が期待出来る答が出るまでやって、「神も承諾した」ということにして、やる訳です。
梅 原 あらかじめ答えを用意しておく訳ですか。
白 川 そうです。これは一つの手続きです。神と交通し、神に承諾せしめた、というね。
梅 原 自分の期待した答えが出なかったら、何遍もやる訳ですか。
白 川 何遍もやる。十連卜(じゅうれんぼく)なんていうのもありましてね、何遍もやるんです。だから決して悪い結果は出ないんです(笑)。
梅 原 (笑)(28-29頁)
◆ 両氏の発言の前後を省略した箇所があります。
「神聖王」の苦難を思う、「神」の受難を思う。
「文字は神であった」(白川静『漢字』岩波新書 3頁)時代は終わり、「文字は統治の手段」となった。
ここへきて柳田國男が登場し、折口信夫が登場した。そして白川静と繋がった。
「殷の神秘世界 ー 周の合理主義的社会」
白 川 広くいえばシャーマニズム的なものが非常に濃厚であった。だから殷は縄文的世界と大変似とると思いますよ。
それに対して周(しゅう)の社会はこういう呪的な儀礼をやらんのです。祀るのは祖先の霊と国の定めた山川の霊だけであって、他の邪霊というようなものはね、まあいろんな民間的なものはありますけれども、周の王朝としてはそういうお祭りはやらん訳です。
梅 原 一種の合理主義。
白 川 いわば弥生的。(30頁)
「沿海の文化」史からみた両国の時代区分の一致は、白川静の正当性を証明するものとなっている。
この直後の梅原猛の発言は興味深い。
梅 原 今までの中国学の主流なんですよ。弥生的というのが。日本でも、「日本古代学」は弥生的な、合理的な古代学ですよ。『万葉集』もそういう風な合理主義の世界から見られるんです。(30頁)