白川静「[サイ]の発見」
2021/02/11、P教授から、
「第一章 初めの物語」
「第二章 からだの物語」
「第三章 (さい)の物語」
(中略)
「白川静」と言えば、[(サイ)]の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、
「口」には二つの意があり、口耳の “口”に対して、もう一つ、神への申(もう)し文(ぶみ)(人が神に願事(ねぎごと)をするために書かれた手紙)を入れる “器”という意味があった。
それが白川静、曰(い)うところの[]である。
この[]の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
そればかりではない。その[]という “器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。
民族 ー そう「白川民俗学」が「白川文字学」を支える。三千年前の人々の暮らし、それは神々と人々とが交通していた時代の出来事。
それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁)
◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
の画像が添付されたメールが届いた。
表紙には、
文字があった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
神とともにあり、
文字は
神であった。
と書かれていた。
ドトールコヒーでおくつろぎの様子だった。政治学者にして白川静とは粋人である。
見栄えのする表紙だった。
返信をする前に、Amazon に注文した。
そして、昨日(2021/02/15)、到着した。
また、裏表紙には、
白川静の日常。
時間は静かに流れ、
淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。
それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。
また、明日。
また、あした。
時間は静かに流れ、
淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。
それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。
また、明日。
また、あした。
と書かれている。
白川静著『回思九十年』(平凡社)
狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫
白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。
当書評には、吉本隆明の文が引用されている。
「白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。
かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」(2000・5・24)(116-117頁) 吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかないところには目をつぶって、とにかく通読することにする。
白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社
また、用意が必要になる。
白川 静「序文」「第一章 初めの物語」
「第二章 からだの物語」
「第三章 (さい)の物語」
「序文」と各章を、
「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁)
と書かれた一文に至るまで熟読する。
準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。
ちなみに、本書の内容紹介には、
「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」
との一文がある。理論社の児童書である。
「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社
「白川静(しらかわしずか)」ー 大き過ぎる。(中略)
「白川静」と言えば、[(サイ)]の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、
「口」には二つの意があり、口耳の “口”に対して、もう一つ、神への申(もう)し文(ぶみ)(人が神に願事(ねぎごと)をするために書かれた手紙)を入れる “器”という意味があった。
それが白川静、曰(い)うところの[]である。
この[]の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
そればかりではない。その[]という “器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。
民族 ー そう「白川民俗学」が「白川文字学」を支える。三千年前の人々の暮らし、それは神々と人々とが交通していた時代の出来事。
それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁)
文字があった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
文字は
神とともにあり、
文字は
神であった。
私にとって、これほどうれしい文句はなく、明日からはしばらくの間、「白川静詣で」をする予定である。
いつにもまして乱脈な文章になってしまった。ご寛恕を請う次第である。