白川静「『孔子伝』_つくられた聖人像」

「和辻哲郎の『孔子』 ー 白川静の『孔子伝』」
 対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」
『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社

白 川 中国の思想史・精神史においては古典的な「聖人の系譜」というものがあって、従来はね、初めから聖人であることを認めた上で書くというやり方です。今の視点から見ている。
 しかし僕は「儒教(じゅきょう)というものがどういう風に成立して来たのか、という社会思想史的なものとして捉えたかった。この思想そのものが、いかにして成立して来たのか、どうして孔子という人物が古典期を代表するような思想家となりえたのか、という問題を(『孔子伝』で)正面において考えてみた訳です。
 大体、孔子自身が自分で聖人ではないと言うておるんですよ、人が自分をそう評価したと言うことを聞いてね。彼自身は宗教的な存在になろうという気持ちはないんですね。むしろ『論語』とか他の資料を見ていくと、彼自身は変革を望んで何回か試みようとした。そして挫折した。
 もし彼が成功しておれば一人の政治家で終わっただろうと思います。ところが彼は最後まで失敗して、流浪の生活をして、惨憺たる生涯ですわな。だからそういう生涯自体が一つの思想になります。そしてあの儒教というような一つの思想体系を組み立てるようになった。つまりその人格的な求心力というものが、多くの弟子を招き寄せた。
 儒教の思想というのは、実際にはその弟子たちによって構成されたのです。核心になるところは孔子が言ったことですが、それを儒教的な体系に組織したのは弟子たちです。これはキリスト教と一緒です。本人はそう大したことは言うておらん(笑)。(122頁)

 歴史中に埋もれたであろう「一人の政治家」と、祀り上げられ歴史上の「聖人」となった孔子と、白川静が描く『孔子伝』は興味深い。多少の差こそあれ、伝説とは作るものであり、作られるものであろう。「本人はそう大したことは言うておらん」、次第に、真実の所在は、この辺りにあるかのような気がしてきた。
 白川静に感化されてきた。私の白川伝説のはじまりである。「本人はそう大したことは言うておらん」とは、夢夢思ってはないが、自覚症状なく、自覚症状がないのは危険信号、と心得ている。