「見覚えのある景色だった」

◇ 松岡享子さく,加古里子え『とこちゃんはどこ』福音館書店
を書いている途中、必要にかられ、「本の名前」で検索すると、たくさんの「本の部分の名称」を記した画像が表示された。それらの間を一羽のかもめが羽を広げて飛んでいた。見覚えのある景色だった。

「かもめ来よ天金の書をひらくたび」
山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫
 北村薫も「いかにも蛇足ですが」といって天金の説明をしているが、装丁法の一で、書物を立てたとき上方になる切り口すなわち天に、金箔をつけたものを指す。
(中略)
 その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。
 そのとき読んでいた北村薫の本を、私もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。
 たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。
 北村薫は「もとより句は、謎々でも頭の体操でもありません。理屈がついて、なーんだと小さくなってしまうのでは仕方がない。ここにあるのは理以上の理です。」と書いている。むろん句をつくった三橋敏雄が、須永朝彦の考えた通りに発想したのかどうか確証はない。しかし、これはそれこそ気づくか気づかぬかであって、いったん気づいてしまったら、ほかの発想はもはや考えられなくなる。
 須永朝彦によれば、三橋敏雄がこの句をつくったのは早くて十五歳、遅くとも十八歳くらいの時期とのことだ。三橋は一九二0(大正九)年の生まれだから、一九三0年代後半の作ということになる。
(中略)
 一つの発見が、こうしてあたかも本から本へ、白い翼をひろげたかもめが渡るように、私のところまで伝わってくる。
 私にはそれがうれしい。いままさに本を手にしている、その本を読んでいるー、そういう思いがわいてくる。うれしいときは、なぜか時間もまた茫洋とわきたつような気がする。現実にはほんのいっときであっても、時間は果てしなくわきおこり、ひろがり、みちるー、そんな気分に包まれる。それがつくづくとうれしい。(154-156頁)

金色に輝くかもめではなかったが、「かもめはかもめ」だった。それがつくづくとうれし」かった。