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5月, 2021の投稿を表示しています

TWEET「さて」_1/?

「ハイウェイラジオ」をはじめて耳にしたとき、大いに驚き、大きな違和感を覚えた。  一個の道路情報と別個の道路情報が、すべて、「さて」という接続語で接続されていたからである。どなたの発明になるものかは知るよしもないが、新手の手法である。軽快で可笑しくて、いまではすっかり、「ハイウェイラジオ」ファンになってしまった。 「ドラぷら」 さんのサイトには、 「放送内容は、道路管制センターへ集約された情報をもとに、あらかじめ録音された単語をプログラムでつなぎ合わせて自動的に作成しています。コンピューターに登録されている単語は約5,000語にも上ります。」 との記載がみられる。アナウンスの女性の方の苦労を思いやっていた私は、すっかり肩透かしを喰らった格好である。また、「 約5,000語」の「単語」で事足りる情報の貧弱さを思ってみたり、情報に文学的表現は必要なく、この程度で用を足すのかと思ってみたりもしている。  今月中に、三つの「TWEET(小鳥のさえずり)」を続けて書こうと思っていた。願いはかない、今朝、四つ目の 「TWEET」の推敲を終えた。テントマットに横たわり五つ目の話題を探していたが、単発的な話題ばかりに終始し発展性がなく弱っていた。  そうこうしているうちに、「さて」を思い出した。そこで、「さて」の登場である。ようやく到着した。 To be continued.

TWEET「数を凌駕するもの」

「Kindle Direct Publishing」さんの書棚に電子書籍を並べるために、際限なくコピペを繰り返した。以来ブログが、毛を刈られた羊のように、寒々としてやせ細ってしまったような感触を抱いている。いくらコピペを繰り返そうが情報量に変わりが ないのは当然のことであるが、そんな気がしてならない。数は絶対であるか。数は指標であり、感触が数値を凌ぐことがないとはいえまい。  たとえば、小林秀雄の白川静の、また中井久夫、井筒俊彦についての文章をブログ上に載せた日の閲覧数は極端に少ないが、これらのブログは、 「ロングテール」 を成すものであって、いつか検索される日を待っている。ロングテールに位置するブログの、毎日の検索件数は、全検索総数の、やはり8割程度を占めるが、ロングテール内で息をひそめて、声がかかるのをじっと待っているブログは、私にとって思い入れのあるブログであることが多く、毎日の楽しみの一つになっている。その日に書いたブログや、当日の 閲総数 に一喜一憂するのか、またロングテール内のブログの閲覧内容を注視するのかは、各人の嗜好が数値を決定する。そして自分の内で、閲覧数が、 2倍にも 3倍にも膨らむことがある。  さて、「毎日なにを食べているんですか」と聞かれることがあるが、「霞を食って生きています」としかお答えのしようがなく、最近の栄養学をもってしても、「霞」は計量化、数値化できないであろう。栄養学を否定するつもりは毛頭ないが、世の中には私のような特異体質者、変食者が少なからずいるということである。「霞」を好むならば、「霞」を食って生き長らえるというのが実のところだろう、と鷹揚に構えている。

TWEET「一人がいい、二人ではもう窮屈である」

 いま古社寺を巡りたいとしきりに思う。しかし、緊急事態宣言の下、県境(けんきょう)を跨いでの移動、不要不急の外出の自粛を心がけなければならないことくらいは、私にも理解できる。自由を制限された生活とはなんと窮屈なことだろう。  近江路・京都・奈良大和路、または、伊勢神宮・室生寺・大野寺・本居宣長記念館・本居宣長之奥墓(おくつき)・熊野古道、いつもの道行がいい。いつもの旅程で構わないが、「三徳山三佛寺 投入堂」を知り、これほどの美と対面してしまったいま、参拝しないわけにはゆくまい。  私は、2021/02/08 のブログ、 土門拳「三徳山 三佛寺 投入堂」 に、 「投入堂には、疑うことを知らぬ、重力に身を任せきっているもののもつ美しさがある。これは信仰である。投入堂は信仰をもつ者の静けさをたたえている。一つの疑念がそれを崩壊へと導く。  投入堂は平安な一体の仏像である。 「三仏寺に拠る平安時代の初期修験者集団」が、 「懸造の高架建築」を建立することにおいてのみ 「偏執狂的に憑かれていた」、意味を見いだしていた、とは到底考えられないことである。彼らは建築屋ではなく、行を行ずる者たちであった。一個の 「懸造の高架建築」と一体の仏像は彼らにとって等価なものであった。投入堂は彼らの祈りだった。  土門拳の写真をよく見るのは難しい。一枚の絵をよく見るのと同様の難しさがある」 と書いた。  サイトを見ると、 「現在、参拝登山が可能です」 と書かれているが、 「投入堂へ参拝をされる際には、必ず二人以上、また両手が使えて運動のしやすい格好でおこしください。」 との断り書きがあり、足枷となっている。同伴者が見当たらない。「一人で心ゆくまでがいい、二人ではもう窮屈である」とは、理由にならないのだろうか。

TWEET「伸びる芽は摘まず、助長もせず」

「ベッドの上はすっかり書籍に占有され、庇を貸して、すっかり母家を取られた格好だった。かたずけるのも面倒で、テントマットを敷き、シュラフ(寝袋)を被って畳の上に寝た」   TWEET「庇を貸して」 を書いた 2021/05/15 以来、相変わらずの占有状態であり、相も変わらぬ寝床である。このごろではこの寝姿で、作文のあらましを考える習慣がすっかり定着した。ものぐさだが、折角身についた態度を振り解(ほど)く必要もなく、そのままにしてある。当然休眠状態に移行することも多いが、それは思し召しのままに、ということである。  あらましを頭のなかで描くように心がけている。頭の内の作業であれば、時ところを選ばず都合がいい。文章には生き物のようなところがあり、いざ書きはじめれば、どこに飛び火し、どこに運ばれるかは予測不能である。あらましについてはこの程度が適当か、と思っている。  何冊かを重ねた教科書の上に乗ると、ふわりとした感触が足に伝わり心地よいことを、いつしか発見した。幾重もの空気の層ができているからだろうか。不謹慎といわれれば返す言葉がないが、秘かな私の楽しみとなっている。  思わぬことから思わぬところへ発展することがある。伸びる芽は摘まず、助長もせずと思っている。

TWEET「そこに灯火の明滅があれば」

 当地では、 2021/05/16 ころに、例年より21日早く梅雨入りし、以来梅雨空が広がっています。あまりにも早い梅雨入りに、いまが 5月なのか、6月なのか怪しくなることがあります。  毎年梅雨入り目前の 06/05 前後に螢狩に出かけます。いつもの場所のいつもの所に陣取り、ぽつり、ぽつりと明滅する螢を鑑賞します。田植えを終えた背後の水田からは、蛙がしきりに鳴き声を上げています。そしてあわよくば、北極星を中心とした北の夜空の天体ショーが望めます。  コロナ禍の影響とは考えられませんが、季節を問わず、異常気象による、各地での災害の報道ばかりが目につきました。人事は大きな惨禍に見舞われ、また官民の対応については見苦しさばかりが露呈した、この一年と数ヶ月でした。  今年の螢の乱舞はいつか、芭蕉ならば、「螢のことは螢に習え」ということでしょうが 。繊弱な螢が気象や人事の影響を受けることは免れず、死滅という唯一の抵抗をみせるや もしれません。  風物詩です。やはり、 06/05 前後の雨間を縫って出かけることにします 。ひとり水無月の闇に紛れるのを楽しみにしています。そこに灯火の明滅があれば幸いです。

「倉本聰先生_2021/03/29」

倉本聰先生  当地では桜の花が見ごろを迎えておりますが、春遅き北の地とはいえ処処に、春の兆しが認められるころか、と拝察しております。  お体のお具合はいかがでしょうか、お加減のことばかりが気になっております。  突然の失礼をお許しください。  同梱いたしました、 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 は、 平成三年(1991年)九月に提出した卒業論文です。  倉本先生宛に認めたお便りです。二百字詰原稿用紙 599頁を、二分冊にして、各二部ずつ製本いたしました。甲斐あって、早稲田の杜で六年と半年の隠棲生活を送る羽目になりました。一部を先生にお届けしようと意気込んでいたのですが、失速し、頓挫したままになっておりました。  思い直して、平成二九年(2017年)四月から数か月をかけて活字化したものの、今回は墜落し、命からがらでいまにいたっております。  今回 Amazon の「Kindle Direct Publishing」さんの書棚に 2021/03/15 に電子書籍として並べていただきました。  いまとなっては古びていて、かび臭い代物ですが、富良野市六郷の森では、五郎が、純が、螢が息づいています。まぎれもなく私の青春でした。若気のいたりでした。  どうかご笑納くださいませ。 また。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 ますますのご雄飛をお祈りいたしております。 本多勇夫(自著) 以下、ブログ(2020/05/31)からの抜粋です。 『北の国から』の地_´95 初夏 富良野市六郷の森にて  北海道(札幌市在住の弟の自宅)を訪れたのは、Nさん(姪)がまだハイハイをしていたころ、いわさきちひろさんの淡彩から這い出してきたかのような、かわいらしい赤ちゃんでした。  「秀岳荘 北大店」でツェルトとスタッフバッグを仕入れ、また「石井スポーツ 札幌店」ではシュラフと「EPI CLIMBER′S COOKER S」、そしてマグカップを購入しました。  その後 六郷の森へ向かいました。富良野岳を望み、ツェルトで何日かを過ごしました。  六郷小学校の子どもたちが、登校時に、 「生きてますか?」 と気づかって、声をかけてくれました。危なっかしくって、見ていられなかったのかもしれません。  その後六郷の森を後にして、富良野駅のお隣の布部駅に場所を移しました。水場やト

「小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫_鎌倉案内として」

「ツバキ文具店」では、「手紙の代書」の仕事も請け負っていた。手紙の文面の原稿書き、作文屋だとばかり思っていたが、手紙の完成形を投函するまでの一切を引き受け、その内容は想像以上に深刻だった。 「代書仕事は、いろいろな人の心や体になりきって文字を綴る。自分で自分をほめるのもなんだけど、様々な人の字に憑依(ひょうい)するのも、上手にできるようになった。」(174頁) 「あんなに数多くの代書仕事をこなしていたのに、先代は決して自分を見失わなかった。己というものを、死ぬまで持ち続けた。そして体が滅びても尚、書き残した文字の中に脈々と生きている。そこには魂が宿っている。書き文字というのは、本来そういうものだった。」(175頁)  また、 176項には、 「手紙にしたためられた言霊(ことだま)」 という表現もみられる。  「書道」という「道」があり、それは「空観」に通じる精神性の高いものであることは容易に察することができるが、残念ながら私には及ばない世界である。  本書には代書したそれぞれの手紙の、個性的な文字を見る楽しみもある。  昨年の晩秋、私が「いざ鎌倉へ」と騒いでいたころ、Dr.T から鎌倉案内として、 ◇  小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 を紹介された。 「いま『ツバキ文具店』を読んでいます。決して面白くないわけではないのですが、すぐに眠気を催します。いつの間にか冗長な小説一般が体質に合わなくなってしまいました。このさらさら、さらさら流れるような文体は、もっと若い筆者の書かれた文章かと思っていましたので、意外でした。」(2020/11/04)  私は数十頁読んだところで投げ出し、鎌倉で落ち合う約束になっていた Hに、「代読」してもらった。その後コロナ禍の下、鎌倉行きは立ち消えになり、いまに至っている。風雲急を告げ、 駆けつけるも武士、留まるも武士かと心得ている。  さらさら、さらさら流れていくこの文体の正体を見極めようと読み進めたが、その余裕もなく、さらさら、さらさら流されるままに読み終えた。比喩表現が多用されていて、目障りだった。読み進むほどに少なくなっていったが、一頁めくった 346頁の一行目には、 「鳥たちが、夜の名残りをついばむように、賑やかな声でおしゃべりしている。」 との一文があり、この一文でこの作品が結ばれているのは、さすがに可笑しかった。  豊富な 話

本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 _その一

 2021/05/14 の夜、 霊長類学者の河合雅雄さんの訃報に接し、その後 長い間 積読したままになっていた、 ◇ 本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 「 発行日 1992年12月1日 初版第一刷」 の奥書がある、古参の単行本を読みはじめ、昨日(2021/05/19)の明け方、読み終えた。  積読したままの書籍が息を吹き返す、生きることは、私にとって非常にうれしいことである。では徒らに、積読したままになっている書籍を読めばいいのかといえば、それは見当はずれである。  70頁ほど読み終えたところで、本書は「評伝」であり、出版社は「山と溪谷社」であることに思いをいたした。本田靖春は元読売新聞社の 記者であり、本書には多くのインタビュー記事(今西錦司評等々)の記載があり、また 出版社が「山と溪谷社」だけに、 今西の手法であった「学術探検」の「探検」に重きがおかれていることを再認識した。 ◇ 本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 は、 ◇『山と溪谷』1989年10月号から1911年12月号 に連載された特集が、単行本として発行されたものである。ただし、 本田の病のために、2度におよぶ、計13か月の「休戦」をやむなくされた。  今西錦司の「学術的業績」、膝下からの「数多くの優秀な学者の輩出」、その「リーダーシップ」は認めるが、人となりは好きになれず、どんなものかと昨日から彷徨っていた。  武士には馴染みがあるが、町人気質(かたぎ)については本書を通してはじめて触れた。今西錦司は、「『錦屋(にしきや)』という西陣でも有数の織元」の家に生まれた、典型的な町人の血筋をひく者である。  簡潔にいえば、「武士道」は成立するが、「町人」には道らしきものはなく、よって好みではない、ということである。  今西を非難、批判する声ばかりが目立つ、しかし尊敬に値するからついていく。短所を補ってまだ余りある、ここに今西錦司の摩訶不思議さがある。   人格と業績は別個であることは、よくわきまえていますが、 今回はこれくらいにさせていただきます。   今しばらく彷徨することにいたします。  なお、河合雅雄は、「第9章 霊長類研究グループ」(285頁)から登場します。河合は、「類人猿の中でもとくに(チンパンジーやオランウータンよりも)ゴリラが人に近い」(302頁)と今西に進言している。これがゴリラ探索

「Kindle Direct Publishing_広告_その二」

 昨日の夕方から今日の午前中にかけて、「KDPサポート」の方と  3回にわたってメールでやり取りした。そして、疑問が晴れた。  電子書籍の「注文」総数(売り上げ総数)「1」という快挙は、快挙のままであるが、この数字には、「Kindle unlimited(定額制の読み放題)」の方たちがダウンロードした冊数が含まれておらず、それは、グラフの「既読ページ数」にしか反映されません、とのことだった。詳細は省くが、正確なダウンロード総数(読者総数)を 把握することはできないが、概数ならば分かり、少なく見積もって、9冊の電子書籍がダウンロードされたことが分かった。  大躍進である。 「既読ページ数」は、井筒俊彦、小林秀雄の順に多く、意外な感じを抱いている。 「KDPサポート」の方へのメールには、謝辞とともに、最後に、 「正確なダウンロード総数(読者総数)が分かるようなシステムに改善してください。それが、「Kindle Direct Publishing」さんにお世話になって、出版させていただている、少なくとも私の楽しみであり、励みにもなります。」 と書き加えた。すると、 「なお、今回いただきましたご要望につきましては、担当部門にて共有し、今後のサービス改善の参考とさせていただきたいと存じます。  お忙しいところ、貴重なご意見をお寄せいただき、誠にありがとうございました。  KDPではお客様に満足していただけるサービスを提供できるよう努力してまいります。  今後ともよろしくお願いいたします。」 との立派な挨拶が返ってきて、恐縮しきりだった。  たとえ定型文だとしても…。  相変わらず、意地悪ですね。しかし、 意地悪はやめられず、今後も意地悪に徹します。

TWEET「庇を貸して」

  一昨日、 開高健「文房清玩」 について書いたが、 (昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。) 「文房清玩」には順位があり、まず自室を清浄に保つ必要がある、との思いから、昨日部屋を入念に掃除した。足元に散らかしてあった書籍をベッドの上に乗せることからはじめた。調度品は掃除がしやすいように並べてあるが、日頃の運動不足(運動皆無)がたたって、すぐに疲れ、一服ばかりしていて、いっこうにはかどらなかった。午前中の早い内からはじめて、終わったのは夕刻だった。  その後、愛玩用の、 ◇「 ペリカン 万年筆  M205 DUO イエローデモンストレーター」 ◇「ペリカン 万年筆 M205 DUO シャイニーグリーン」 と、卒業論文を書く際に購入した、ひどく傷んだペリカンの万年筆に加えて、二本の吸入式の万年筆を洗浄した。こちらの手入れはいっこうに苦にならなかった。いま陰干し中である。  さらにその後、「釣具清玩」。禁断のルアーボックスの蓋を開けた。 日がな矯めつ眇めつ、あるいは手に取って戯れ、ニタニタし、飽きもせず、開高先生におかれましても、なかったとは到底考えられない「清玩」癖である。  時計に眼をやれば深更で、あわてて寝ようと思えば、ベッドの上は書籍にすっかり占有され、庇を貸して、すっかり母家を取られた格好だった。 かたずけるのも面倒で、テントマットを敷き、シュラフ(寝袋)を被って畳の上に寝た。この事態も「清玩」と思えば「清玩」であり、折角なので、今夜からは「ヘリテイジ トレイルシェルター」内で寝ようかと思っている。上等なひとり寝である。  「清玩」とは、行住坐臥、これ気品に極まる、と独り合点している。

開高健「文房清玩」

 今朝 開高健の記した色紙ことを思った。  起き抜けに検索した。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 オリジナルグッズのご紹介」 文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家 亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう。  どうしようもなく欲しくて買った文房具が何点かある。釣り道具ならば、登山用品ならば何点もある。大切にしまってあるが、それは半可通のすることである。日用品として使ってみたところで、いまだ生半可な域内での出来事である。日がな矯めつ眇めつ、あるいは手に取って戯れ、上等な暇つぶしの時間をもちたいものである。 「文房清玩」。  そうこうしているうちに胸騒ぎがしてきた。 以下、 「小説家 開高健 / オリジナルグッズのご紹介」 です。また、 『男と女は誤解して愛し合い 理解して別れる』 です。

「Kindle Direct Publishing_広告」

まずはじめに、 ◇  「本多勇夫「倉本聰私論」:〜『北の国から』のささやき〜」 を除く、13編すべての電子書籍を更新し、一応の体裁を整えました。しかし、以前にダウンロードされた書籍は自動では更新されず、申し訳ありませんが、 「note」 さんのサイトに記されている手順に従って、あるいは直接 「電話」 にて、 「Kindle Direct Publishing」さんに連絡して、更新してください。「無料サンプル」は更新されています。    なお、「未出版」扱いにした、または「ブロック」された書籍はリンクが切れ、再ダウンロードできない事態になっています。ご迷惑をおかけしてたいへん申し訳なく思っております。 現況をお知らせいたします。広告です。 ◇ 「本多勇夫 / それ行け 折々の記_03」:〜推薦図書編〜」 :1冊(カナダ在住の方) (旧書名「本多勇夫 / 続々 折々の記_03::〜推薦図書編〜」) ← 更新してください。   P 教授のご厚情による5冊のご購入。 そして、私が各1冊。  あまりの貧果に茫然自失としています。  思えば、私がとり上げた人物は、漱石、司馬遼太郎を除けば読者層は限られ、さらに、その少数派に与する方たちに電子書籍を読む習慣があるとはとても考えられず、当然の成り行きということなのでしょう。  また、ブログをご覧になってくださっている方々は、検索すればほぼ同じ内容の文章が読めるわけですし、期待することなく、今後の推移を見守ることにします。  浅はかでした。次回は複数冊の売り上げを目指します。

TWEET「Kindle Direct Publishing_つわものどもが夢の跡」

2021/04/29 に、 ◇ 「本多勇夫 / なおかつ 折々の記_13」: 〜白洲正子編〜」 を「Kindle Direct Publishing」上に上梓し、その後編集作業をしていました。  試行錯誤、七転八倒はお手のもの、とはいえ、どうしてここまで使い勝手の悪い、複雑怪奇な仕組になっているのでしょうか。意地悪が過ぎます。 「note」 さんのサイトに出会い、救われました。理屈が解り、後は淡々と作業を進めました、とはいえ、疲労、疲弊、消耗しています。へろ へろ状態です。 ◇  「本多勇夫「倉本聰私論」:〜『北の国から』のささやき〜」 を除く、13編すべての電子書籍を更新し、一応の体裁が整いました。しかし、以前にダウンロードされた書籍は自動では更新されず、申し訳ありませんが、 「note」 さんのサイトに記されている手順に従って、 「Kindle Direct Publishing」さんに連絡して、更新してください。「無料サンプル」は更新されています。 ◇  「本多勇夫「倉本聰私論」:〜『北の国から』のささやき〜」 は、今回はお預けです。「『北の国から』のささやき」には耳を傾けず、ということです。  10冊の、「未出版」にあるいは「ブロック」された書籍があります。いまならば対応できるものばかりです。浪費しました。「つわものどもが夢の跡」です。  なお、「未出版」扱いにした、または「ブロック」された書籍はリンクが切れ、再ダウンロードできない事態になっております。ご迷惑をおかけしてたいへん申し訳なく思っております。  列島は「変異株」の猛威にさらされていますね。 「ごきげんよろしう」。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:その後、 「Kindle Direct Publishing」さんに連絡して、13編の「 本多勇夫 / 折々の記」のすべてを 更新していただきました。