TWEET「数を凌駕するもの」

「Kindle Direct Publishing」さんの書棚に電子書籍を並べるために、際限なくコピペを繰り返した。以来ブログが、毛を刈られた羊のように、寒々としてやせ細ってしまったような感触を抱いている。いくらコピペを繰り返そうが情報量に変わりがないのは当然のことであるが、そんな気がしてならない。数は絶対であるか。数は指標であり、感触が数値を凌ぐことがないとはいえまい。
 たとえば、小林秀雄の白川静の、また中井久夫、井筒俊彦についての文章をブログ上に載せた日の閲覧数は極端に少ないが、これらのブログは、「ロングテール」を成すものであって、いつか検索される日を待っている。ロングテールに位置するブログの、毎日の検索件数は、全検索総数の、やはり8割程度を占めるが、ロングテール内で息をひそめて、声がかかるのをじっと待っているブログは、私にとって思い入れのあるブログであることが多く、毎日の楽しみの一つになっている。その日に書いたブログや、当日の閲総数に一喜一憂するのか、またロングテール内のブログの閲覧内容を注視するのかは、各人の嗜好が数値を決定する。そして自分の内で、閲覧数が、2倍にも 3倍にも膨らむことがある。
 さて、「毎日なにを食べているんですか」と聞かれることがあるが、「霞を食って生きています」としかお答えのしようがなく、最近の栄養学をもってしても、「霞」は計量化、数値化できないであろう。栄養学を否定するつもりは毛頭ないが、世の中には私のような特異体質者、変食者が少なからずいるということである。「霞」を好むならば、「霞」を食って生き長らえるというのが実のところだろう、と鷹揚に構えている。