「小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫_鎌倉案内として」

「ツバキ文具店」では、「手紙の代書」の仕事も請け負っていた。手紙の文面の原稿書き、作文屋だとばかり思っていたが、手紙の完成形を投函するまでの一切を引き受け、その内容は想像以上に深刻だった。
「代書仕事は、いろいろな人の心や体になりきって文字を綴る。自分で自分をほめるのもなんだけど、様々な人の字に憑依(ひょうい)するのも、上手にできるようになった。」(174頁)
「あんなに数多くの代書仕事をこなしていたのに、先代は決して自分を見失わなかった。己というものを、死ぬまで持ち続けた。そして体が滅びても尚、書き残した文字の中に脈々と生きている。そこには魂が宿っている。書き文字というのは、本来そういうものだった。」(175頁)
 また、176項には、
「手紙にしたためられた言霊(ことだま)」
という表現もみられる。
 「書道」という「道」があり、それは「空観」に通じる精神性の高いものであることは容易に察することができるが、残念ながら私には及ばない世界である。
 本書には代書したそれぞれの手紙の、個性的な文字を見る楽しみもある。
 昨年の晩秋、私が「いざ鎌倉へ」と騒いでいたころ、Dr.T から鎌倉案内として、
◇ 小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫
を紹介された。
「いま『ツバキ文具店』を読んでいます。決して面白くないわけではないのですが、すぐに眠気を催します。いつの間にか冗長な小説一般が体質に合わなくなってしまいました。このさらさら、さらさら流れるような文体は、もっと若い筆者の書かれた文章かと思っていましたので、意外でした。」(2020/11/04)
 私は数十頁読んだところで投げ出し、鎌倉で落ち合う約束になっていた Hに、「代読」してもらった。その後コロナ禍の下、鎌倉行きは立ち消えになり、いまに至っている。風雲急を告げ、駆けつけるも武士、留まるも武士かと心得ている。
 さらさら、さらさら流れていくこの文体の正体を見極めようと読み進めたが、その余裕もなく、さらさら、さらさら流されるままに読み終えた。比喩表現が多用されていて、目障りだった。読み進むほどに少なくなっていったが、一頁めくった 346頁の一行目には、
「鳥たちが、夜の名残りをついばむように、賑やかな声でおしゃべりしている。」
との一文があり、この一文でこの作品が結ばれているのは、さすがに可笑しかった。
 豊富な話題からなり、あまりにも唐突な出来事に、本を伏せたこともあった。読者の興味を魅くこの軽やかな筆の運び、その意外性も人気の秘訣であることは確かである。
 鎌倉の名所名店、そしてたとえば、
「クレインのコットンペーパーを使った便箋」
「クレインの封筒」
「ベルギー製のクリームレイドペーパー」
「『満寿屋(ますや)』の原稿用紙」
「羊皮紙と虫こぶインク、羽根ペン」
「モンブランの中でも傑作と言われる『マイスターシュテュック 149』」
「ルイス・エドソン・ウォーターマンの発明百周年を記念して発売された、『ル・マン100』」
「エルバン社のトラディショナルインク」
等々の文具にも傍線をひきながら読んだ。
 足元に散らかしてあった本を整理した際に目に留まり、昨日の朝から読みはじめ、今日の午前中には読み終えた。
 最後に、「男爵」と呼ばれる、初老と思われる男性がいて、ぶっきらぼうで、ぞんざいで、乱暴な口の利き方をするが、大きな優しさを内に秘めた憎めない人物像として描かれていて、好感を抱いている。「男爵」なしにはこの小説の面白さが半減する、といえばいいすぎであろうか。やはり「男爵」とは「ジャガイモ」のことか、と思ってみたりもしている。

追伸:
なお、
◇ 小川糸『ツバキ文具店の鎌倉案内』幻冬舎文庫
があり、続編の
◇ 小川糸『キラキラ共和国 』幻冬舎文庫
があります。

追伸:
 ブログを公開して、しばらくして閉じたのは、
「男爵が連れて行ってくれたのは、由比ヶ浜通り沿いにある「つるや」という鰻の老舗(しにせ)だった。もちろん、名店なので私も知っている。」(130頁)
「つるや」が気になったからである。そして、検索した。
「川端康成や小林秀雄、田中絹代など著名人に好まれていたという舌の肥えた美食家達をも魅了した由比ヶ浜通りにある創業昭和4年の老舗です。」
と書かれたサイトが見つかり、納得した。
『本居宣長』が出版され、間もなくして女将さんが購入し、小林秀雄が署名を求められたという鰻屋さんである。この話題は、講演と河上徹太郎との「最後の対談」で、二回耳にしている。