「倉本聰先生_2021/03/29」

倉本聰先生
 当地では桜の花が見ごろを迎えておりますが、春遅き北の地とはいえ処処に、春の兆しが認められるころか、と拝察しております。
 お体のお具合はいかがでしょうか、お加減のことばかりが気になっております。
 突然の失礼をお許しください。
 同梱いたしました、
「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
は、 平成三年(1991年)九月に提出した卒業論文です。
 倉本先生宛に認めたお便りです。二百字詰原稿用紙 599頁を、二分冊にして、各二部ずつ製本いたしました。甲斐あって、早稲田の杜で六年と半年の隠棲生活を送る羽目になりました。一部を先生にお届けしようと意気込んでいたのですが、失速し、頓挫したままになっておりました。
 思い直して、平成二九年(2017年)四月から数か月をかけて活字化したものの、今回は墜落し、命からがらでいまにいたっております。
 今回 Amazon の「Kindle Direct Publishing」さんの書棚に 2021/03/15 に電子書籍として並べていただきました。
 いまとなっては古びていて、かび臭い代物ですが、富良野市六郷の森では、五郎が、純が、螢が息づいています。まぎれもなく私の青春でした。若気のいたりでした。
 どうかご笑納くださいませ。
また。
くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。
ますますのご雄飛をお祈りいたしております。
本多勇夫(自著)

以下、ブログ(2020/05/31)からの抜粋です。

『北の国から』の地_´95 初夏 富良野市六郷の森にて
 北海道(札幌市在住の弟の自宅)を訪れたのは、Nさん(姪)がまだハイハイをしていたころ、いわさきちひろさんの淡彩から這い出してきたかのような、かわいらしい赤ちゃんでした。
 「秀岳荘 北大店」でツェルトとスタッフバッグを仕入れ、また「石井スポーツ 札幌店」ではシュラフと「EPI CLIMBER′S COOKER S」、そしてマグカップを購入しました。
 その後 六郷の森へ向かいました。富良野岳を望み、ツェルトで何日かを過ごしました。
 六郷小学校の子どもたちが、登校時に、
「生きてますか?」
と気づかって、声をかけてくれました。危なっかしくって、見ていられなかったのかもしれません。
 その後六郷の森を後にして、富良野駅のお隣の布部駅に場所を移しました。水場やトイレが用意された「無人駅泊」は快適でした。夜はベンチを寝台にして寝ました。布部駅を根城に気ままな毎日を送りました。なかでも、富良野岳温泉は格別でした。市内を地下足袋で彷徨っていました。地下足袋は現地で調達しました。
 太平洋フェリーで、名古屋 - 仙台(経由)- 苫小牧間を往復しました。
 仙台では、P教授に松島を案内していただいたり、磐梯山に登頂したりと、とてもよくしていただきました。
 また、P教授のご紹介により、東北福祉大学の川上吉昭先生の研究室にお邪魔し、個人教授を授かりました。さらに、「温古堂」さんでは「操体(橋本敬三先生創始の整体法)」を実体験しました。心地よさに身を任せているうちに、しだいに体への意識が薄れ、体を感じなくなりました。身のこなしが軽やかになり、宙を舞っているような感じがしました。
 そのころの私は、目下野宿の達人を目指し奮戦中の、H(甥)のはるかに上をいっていました。今後のHの大活躍に期待するばかりです。
 とりとめのない文章になってしまいましたが、とりとめのないままに UP しておくことにします。悪しからず!!


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