北原白秋「落葉松」_我が「心の幽かなそよぎ」
「落葉松(からまつ)北原白秋(きたはらはくしゅう)」
は、昨年度改定された、光村図書出版『国語 2』(中学校二年生の国語の教科書)で、はじめて取り上げられた作品です。
「落葉松」は、「水墨集」抄 所収の一編です。
◇ 北原白秋『白秋詩抄』岩波文庫(1984年12月20日 第51刷 発行)
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨(きりさめ)のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。
浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡(ぬ)るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
この清らかさはなんだろう。この「韻(ひびき)」は、なにに由来するものか、数日来考えています。
下記、
「小さな資料室_資料298 北原白秋「落葉松」
からの引用です。すてきなサイトです。
2. 上記の「落葉松」の出典は、『水墨集』(大正12年6月18日アルス発行)です。同詩集には、≪落葉松≫として「落葉松」「寂心」「ふる雨の」「啼く虫の」「露」の5篇が出ているようです。そして、≪落葉松≫の初めに、次の文が書かれています。
落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。
※「我が心の心のささやきなるを」は、関良一氏の『近代文学注釈大系 近代詩』の頭注に
も同じ形で引用してありますが、吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』には、「我が心のささやきなるを」としてありますので、吉田氏は「心の心の」を衍字と見られたのかもしれません。
なお、吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』には、また「ある作曲家に」(『詩と音楽』創刊号、大正11年9月)にも、この七章は私から云へば、象徴風の実に幽かな自然と自分との心状を歌つたつもりです。これは此のままの香を香とし響を響とし、気品を気品として心から心へ伝ふべきものです。何故かなら、それはからまつの細かな葉をわたる冷々とした風のそよぎ、さながらその自分の心の幽かなそよぎでありますから。(後略)
と同じ意味のことが述べられています。
とあります。(259~260頁)
※ ここに「この七章は」と白秋が書いているのは、この文章が書かれた当時は、「落葉松」はまだ全7章(節)であったからです。(注の3参照)
3. 「落葉松」の初出は、『明星』(大正10年11月発行)で、このときは全7節。『白秋パンフレット』第二輯(大正11年8月刊)に収められ、更に第8節を加えて『水墨集』の≪落葉松≫に収められました。白秋は、大正10年晩春・初夏のころ浅間山麓に遊んだそうです。(この項は、関良一・校訂・注釈・解説『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂・昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)によりました。吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』によれば、「「落葉松」は、大正の初めごろからスランプ状態に陥って童謡民謡のほかは詩作を絶っていた白秋が、渋く寂しい象徴の詩境を啓き、詩作の道に復活する機縁となった記念すべき作品」の由です。
「ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ」「香を香とし響を響とし、気品を気品として」
この「気品」は、なにに由来するものか、今も考えています。そのさやけさのなかにいます。
は、昨年度改定された、光村図書出版『国語 2』(中学校二年生の国語の教科書)で、はじめて取り上げられた作品です。
「落葉松」は、「水墨集」抄 所収の一編です。
◇ 北原白秋『白秋詩抄』岩波文庫(1984年12月20日 第51刷 発行)
落 葉 松
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨(きりさめ)のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。
浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡(ぬ)るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
この清らかさはなんだろう。この「韻(ひびき)」は、なにに由来するものか、数日来考えています。
下記、
「小さな資料室_資料298 北原白秋「落葉松」
からの引用です。すてきなサイトです。
2. 上記の「落葉松」の出典は、『水墨集』(大正12年6月18日アルス発行)です。同詩集には、≪落葉松≫として「落葉松」「寂心」「ふる雨の」「啼く虫の」「露」の5篇が出ているようです。そして、≪落葉松≫の初めに、次の文が書かれています。
落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。
※「我が心の心のささやきなるを」は、関良一氏の『近代文学注釈大系 近代詩』の頭注に
も同じ形で引用してありますが、吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』には、「我が心のささやきなるを」としてありますので、吉田氏は「心の心の」を衍字と見られたのかもしれません。
なお、吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』には、また「ある作曲家に」(『詩と音楽』創刊号、大正11年9月)にも、この七章は私から云へば、象徴風の実に幽かな自然と自分との心状を歌つたつもりです。これは此のままの香を香とし響を響とし、気品を気品として心から心へ伝ふべきものです。何故かなら、それはからまつの細かな葉をわたる冷々とした風のそよぎ、さながらその自分の心の幽かなそよぎでありますから。(後略)
と同じ意味のことが述べられています。
とあります。(259~260頁)
※ ここに「この七章は」と白秋が書いているのは、この文章が書かれた当時は、「落葉松」はまだ全7章(節)であったからです。(注の3参照)
3. 「落葉松」の初出は、『明星』(大正10年11月発行)で、このときは全7節。『白秋パンフレット』第二輯(大正11年8月刊)に収められ、更に第8節を加えて『水墨集』の≪落葉松≫に収められました。白秋は、大正10年晩春・初夏のころ浅間山麓に遊んだそうです。(この項は、関良一・校訂・注釈・解説『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂・昭和38年9月10日発行、昭和39年12月20日再版発行)によりました。吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』によれば、「「落葉松」は、大正の初めごろからスランプ状態に陥って童謡民謡のほかは詩作を絶っていた白秋が、渋く寂しい象徴の詩境を啓き、詩作の道に復活する機縁となった記念すべき作品」の由です。
「ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ」「香を香とし響を響とし、気品を気品として」
この「気品」は、なにに由来するものか、今も考えています。そのさやけさのなかにいます。
です。