「当塾のトイレ事情」
築五十二年になる木造家屋に住んでいます。下水道が整備され洋式の水洗トイレになり、我が家のトイレ事情は一変しました。間もなくしてウォシュレットがつき、この上なく快適になりました。
子どものころ夜中にトイレに起きたとき、玄関の引戸に映る、門灯に照らされた庭木の影が怖かったことを記憶しています。
自宅の二階の八畳二間を教室にして、中学生を対象とした少人数制の学習塾を営んでいます。子どもたちは、夜トイレに行くのを怖がります。階段を降り廊下伝いにトイレに行くまでの薄暗い道のり、むき出しの裸電球一つだけのトイレ内の照明。昼間でさえトイレに行くのを怖がる女の子たちもいます。ほの暗さが怖いのだそうです。
子どもたちの自宅はくまなく灯りに照らされているのでしょう。住空間は、陰翳があってこそ味わいがあると思うのですが、そんなことは子どもたちには通用せず、お構いなしです。
歩いて5分ほどのコンビニへ用を足しにいく女の子たちがいます。かつて勇敢にも、二階の窓から用を足していた男の子たちがいました。私も早速感化され、凍てつく冬の星月夜を見ながら、ご乱行におよぶことがあります。男の浪漫です。
用を足した後のトイレのスリッパの格好は、さまざまで、かわいらしく並んでいるもの、折りめ正しくそろえられたもの。節度なく乱暴に脱ぎ捨てられたものや片方のスリッパがトイレの外に転がっているもの。歩きながら脱いだ、その足跡があらわなもの。そして、なににもまして、便器に向かって立ったそのままの格好をしたスリッパには、さすがに驚かされます。
当塾のトイレは無法地帯と化しています。それぞれの子どもたちのお宅の事情が色濃く反映されています。お里が知れます。