土門拳「走る仏像」
土門拳「走る仏像」
土門拳「走る仏像」
土門拳『土門拳 古寺を訪ねて―京・洛北から宇治へ 』小学館文庫
「仏像は静止している。伽藍は静止している。もちろん境内の風景は静止している。と、誰しも思うだろう。仏像や建築や山や木というものは、写真の対象のうちでは、スタティックな被写体に属するはずである。わたしも長い間そう思っていた。ところがある日、宇治の平等院へ撮影に行った帰り、鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、目くるめく早さで走っているのに気がついた。しばし呆然としたわたしは、思わず「カメラ!」とどなった。すっかり帰るつもりでいた助手たちは、げっそりした顔でカメラの組み立てにかかった。その間にも鳳凰堂は逃げるように、どんどん、どんどん走っている。「早く。早く。」とわたしはじだんだ踏んだ。そして棟飾りの鳳凰にピントを合わせるのももどかしく、無我夢中で一枚シャッターを切った。たった一枚。そしてもう一枚と思って、レリーズを握ったわたしは、シャッターを切るのをやめた。さっきまで金色にかがやいていた茜雲は、どす黒い紫色になり、鳳凰堂そのものも闇の中に姿を消していたからである。それは全くどこかへ逃げ去ったとでもいうほかない早さで、姿を消していた。」
「それにしても、茜雲の平等院以後、わたしには、仏像も建築も風景も、疾風のような早さで走るものになってしまったのには閉口である。」
「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」展
2018/10/12
いま京都に遊んでいます。「京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」展を見て、京都国立博物館前のホテル「HYATT REGENCY KYOTO」の喫茶室でくつろいでいます。
宙に浮き、質量感を欠いた「かたな」は、光でした。
その後、平等院鳳凰堂へ向かいました。「ミュージアム鳳翔館」に展示されていた
“雲中供養菩薩像
” は端正な顔立ちをされていました。また、「初代鳳凰像」の体躯は引きしまり、輪郭の厳しさばかりが目につきました。
日没を待ちましたが、雲におおわれた夕空は、朱に染まることはなく、「走る仏像」は、次回に期すことにしました。