「宗久さんに救われる」

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 は、628頁からなる大部の書籍である。空外先生のお話は融通無碍であり、仏教の要語をそのときどきの話題如何によって意訳される。そして、ついに混乱をきたした。この乱脈ぶりを鎮めるために、
◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書
を再読した。信頼にたる図書が身近にあることは心強い。

「本書はあくまでも解説ではなく、『般若心経』の訳のつもりである」(214頁)
「今回も原稿段階で臨済宗妙心寺派教学研究委員の皆さんに厳正な校閲を頂戴した」(219頁)そして、その後には八名の方の芳名が連なっている。玄侑さんは、どこまでも真摯である。
 四度(よたび)目の読書だったが、はじめて目にしたような内容もあり、誤読にも気づき、あきれた。理解は進んでいるが、「読む」ことの難かしさを実感している。

「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」
2021/12/20 
昨夜、
◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書
を再読し終えた。
 本書は「般若心経のすゝめ」であり、またその実践法である。
 一切が無化されていくなかで、ひとり「私」が、とり残された格好である。依然障りある身の「私」が、いつまでも残る。「仕立て上げた『私』」は、執拗でありその根は深い。
 意味を問うことなく、誦んじて読む「般若波羅蜜多(心経)」は、「呪文」であり「真言」であり、その声の響きは、「からだ」や「いのち」、はては「宇宙という全体」と直接つながっていると、玄侑宗久さんは説く。そしてまた、「呪文」を「実践」し、よく「持(たも)」つことによって、「仕立て上げた『私』」という殻は「溶融」し、次第に薄くなる、「その薄くなった殻を透かして、私たちは『空』という」「実在」「に気づいてゆく」、という。
 師走も半ばを過ぎ、一条の光明が射した。「命なりけり」である。ひと続きの命の不思議さを思う。
 座右の書となった。座右の書ばかりが増え、身辺が雑然としてきた。うれしい悲鳴である。

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 については、読み急ぎ過ぎている。集中講義には向かない内容である。週に一コマが適当であろう。
 平静をとりもどした。宗久さんに救われた。