「『空こそ色なれ』,そして『空外』」

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会(150-152頁)には、『空外漢訳心経』と『空外梵本心経和訳』が載っている。いずれも、山本空外による、サンスクリット原典からの漢訳であり、邦訳である。
 日本では、玄奘三蔵漢訳の『般若波羅蜜多心経』が、「古来最もよく知られ、読まれている」が、訳本に異同が認められるのは、いわずもがなのことである。なお、「八世紀後半」に「法隆寺に伝わった『般若心経』サンスクリット写本」が、現存する世界最古のものである。
「あの小さい玄奘三蔵漢訳)のお経に「無」が二十一遍も出ている。サンスクリット原典の『般若心経』にあって漢訳本で略している「無」が、もう七つある。また「空」は、漢訳本に七通りありますけど、さらにサンスクリット原本では五遍たさないといけない。」(587頁)玄奘三蔵の漢訳は読誦することを目的としていて、声調を念頭においたものに違いないが、それにしても意外だった。

 玄奘訳の「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。」の、「舎利子」の後に、空外訳には、「於此世界 色空空色」の文句がある。そしてそれは、「この世界においては 色は空にして 空こそ色なれ」と邦訳されている。「漢文では「空こそ」の「こそ」が表わせない。それで「空色」と書いてある。漢文では無理ですけれども、日本語なら「空こそ色」と訳せるでしょう。それでわたくしが『般若心経』を訳しかえた。」(578-579頁)
「『空・おかげでないと、色ではない』というのが『般若心経』の考え方です。」(305頁)「おかげでないものはひとつもない。それを『空こそ色なれ』というのです。だから、『空こそ色なれ』という『般若心経』の一句は、世界を照らすような光です。」(342頁)
 また、空外訳ではその後、「空不異色色不異空」と続くが、玄奘訳の「色不異空。空不異色。」とは、順序が逆になっている。そして空外先生は、「空は色に異らず 色は空に異らず」と邦訳している。原典では、いずれの場合も、「空」が重視され、強調されている。

「空外とは、『般若心経』にいう「空(くう)こそ色(しき)」という意味」(578頁)であることをはじめて知った。「空こそ色なれ」とは、空外先生の思いの丈の表れである。
「空」とは、「簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁)と、空外先生は書かれているが、格の違いを感じる。