「高山寺往還」

2021/11/24(水)
「勤労感謝の日」の翌日、人混みを避け、紅葉の盛りを避け、昼過ぎに出立した。
◆「無印良品 クロスモール豊川」
旅行用品を仕入れた。
◆「東京庵 豊川店」
「味噌煮込みうどん定食」を食べ、勇んで出かけた。
◆「養老 PA」
車中泊をし、薄明を待った。

2021/11/25(木)
◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。
2021/11/23 に、初冠雪を記録したとのことだったかが、新雪を戴いた伊吹山を見ることはできなかった。
◆「渡岸寺(どうがんじ)」
朝一番に、「渡岸寺」さんの観音さまに見えた。お堂内は鎮まっていた。去りがたく、つい時間を過ごしてしまった。

2021/11/26(金)
◆「栂尾山 高山寺」
 今回もバス停脇の裏参道から「石水院」へと向かい、逆順をたどった。「石水院」内を、参拝、参観し、「石水院」の南面濡縁で裸足になって日向ぼこをしてくつろいだ。こういった過ごし方を、明恵上人は喜んでくださっている、と信じている。


「明恵上人御廟」

「開山堂」「明恵上人御廟」「仏足石」「金堂」「春日明神社」の順に参拝し、「表参道」を通って、バス停に向かった。
「栂尾山 高山寺」のリーフレットが新調された。
◆「ぎをん 権兵衛」
 13:30 過ぎに行ったが、行列ができていて後尾に並んだ。ガイドブックで紹介されたのだろうか、若い女性客が目立った。
 前回と同じく、「きつねうどん」と「親子丼」を注文した。
 女将さんが帳場で、てきぱきとやりとりしている姿は、なによりだった。
◆「東寺」
「東寺」とは相性が悪い。薄暗い堂宇に所狭しと納められた像は、私の目には明らかに映らず、残念である。「東寺」さんには「東寺」さんの事情があるのは察しがつくが、無念である。
 閉館時間を気にしながらの駆け足の参拝、参観だった。最後に「大師堂」を参拝し、「食堂」で「輪袈裟」と「ピンバッチ」を購入した。
「身は高野 心は東寺に おさめおく
           大師の誓い 新たなりけり」
「東寺」を後にして、薄暮のなかを京都駅まで歩いた。

追伸:「東寺」さんのパンフレットには、
「講堂・立体曼荼羅」
「堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。
これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密教浄土の世界)です。
中でも平安時代前期の十五躯はわが国の密教彫刻の代表作です」
と書かれ、その下には、
◇「講堂立体曼荼羅諸尊配置図」
が描かれている。
 展示の意図がはっきりしたいま、影になり日向になり、重なり合い、見え隠れしていた理由が明らかになった。愚かだった。これで、「東寺」との相性の悪さもすっかり払拭された。やはり、大師の心はいまも、「東寺」にあるのである。

2021/11/27(土)
◆「東寺」
 どうしても「お遍路笠」が欲しくて、翌日再び「東寺」に向かった。
「笠の正面に「梵字」が一字入っています。この「梵字」は弥勒菩薩を表す「梵字」で、発音は「ゆ」です。お大師さま(弘法大師空海)を表していると言われています」
 そして、「笠」には、向かって右回りに
「迷故三界城」(迷うがゆえに三界は城)
「何処南北有」(どこに南北があろうか)
「同行二人」 (遍路は自分一人でなくいつも弘法大師と一緒である)
「本来東西無」(本来東西は無く)
「悟故十方空」(悟るがゆえに十方は空)
と墨書されている。
 真新しい「お遍路笠」を携えて、大師堂」を参拝し、その後にはベンチに座り、しばらく時を過ごした。

2021/11/28(日)
◆「極楽湯 彦根店」
◆「渡岸寺」
奈良大和路・京都・近江路の往復には、「渡岸寺」さんの観音さまを拝顔することが、いつしか習いになった。

2021/11/28(月)
◆「伊吹山 PA (上り)」より、薄らと新雪を戴いた「伊吹山」をはじめて望んだ。

「薄らと新雪を戴いた伊吹山」
◆「養老 PA」
事故による渋滞で、交通渋滞が解消されるまでの数時間を「養老 PA」で仮眠した。
帰宅したのは、3:30 を少し回っていた。

 時折、「白装束」を羽織り、「ピンバッチ」を付けた「輪袈裟」を掛け、「お遍路笠」を被った、「死装束」を身にまとうことは、好きこと哉。
 帰宅後、眠り呆けた。古人の健脚ぶりを思う、と同時に覚悟のほどを思った。
 季節は初冬に変わっていた。「冬籠」の季節である。
追伸:今回は、本居宣長の「七種鈴」のうち、「八角駅鈴」と「八角鉄鈴」をお供に携えていった。