「辰濃和男『四国遍路』岩波新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」

昨夕、
◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書
を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。
「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。
 辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。
 「出あったときが別れだぞ」
 松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年)(43頁)
 陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、
「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった」(175頁)
井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫 
でも経験した。
 自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、
「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁)
と、いまは確信している。
 空海は、
「吾れ永く山に帰らん」
と言い遺している。
原始の森、いのちの息吹き、太古の闇。いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。
「澗水(かんすい)一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁)
「高野往来」以降、四国路がにわかに迫ってきた。

以下、「辰濃和男『四国遍路』岩波新書_まとめて」です。

この項はこれくらいで勘弁していただき、「読む」を「書く」に優先させていただくことにする。
手にするや、
◆ 小林秀雄『人生について』角川文庫
◇「私の人生観」
が気になりはじめた。脇道にそれることにする。大なる閑道である。
その後には、
◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社
を予定している。三巡目の「へんろ道」である。