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8月, 2020の投稿を表示しています

TWEET「領空侵犯」

 先日は途中で投げ出した格好での幕引きになってしまいましたが、その後上手く解決されたことと拝察しております。スキャナーが保存先に「Google ドライブ」や「Dropbox」を指定してくることに、少なからず驚きを覚えています。  秋の行楽シーズンも、雲行きがあやしく、自粛ムードが漂っていますね。ステイ ホームには慣れっ子になっているものの、余儀なくされるとやはり困惑します。引きこもりという非社会的な行為に陽が当たり、「在宅」という言葉に換言され認知されつつあるいま、非社会的であることが第一義である私にとって、次なる非社会的な居場所を探す他なく、少なからずコロナ禍の下に身を置いています。死活問題です。悠長に構えているわけにはいかず、スクランブル発進の必要を感じています。 連日 真夏の陽気ですね。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「花火で描いたハートのマーク」

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 今朝の予想最低気温が 5℃とは驚きましたが、ご無事でしょうか。富士山頂なみの気温ですね。いったいどこにお住まいのことか、と頭を抱えています。 「手持ち花火」で、二人で描いたハートのマーク、この夏一番のすてきな思い出ですね。幸せな気分に浸っています。  昨夕の夏ハゼ釣りは、このところの日照り続きで「苦潮(にがしお)」が発生し、川は一様に濁り、ハゼは酸欠で食い気なく、やる気なく、ルアーを泳がせて帰ってきました。大水が出ないかぎりこの濁りは消えないものと思っています。  川辺から子どもたちの姿が消え、釣り人の姿が消えてから幾星霜かが経ち、流れの相が変わり、岸辺の相がすっかり変わってしまいました。   朱に染まった夕雲と南西の空高くにかかった三日月がきれいでした。 今日からは子どもたちと、過ぎゆく夏を存分にお楽しみください。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「女満別のひまわり畑」

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こんにちは。 みごとな「ひまわり畑」ですね。黄に染まった地平の上に広がっているのは、紛れもなく北海道の空で、合成写真でも見ているかのような錯覚にとらわれています。目の覚めるような画像、どうもありがとうございました。  最高気温は 4℃ほど下がりましたが、いぜん 33℃前後を行ったり来たりしています。しかし、昨日より雲行きがあやしくなり、断然楽になりました。  週末には早くも定期テストが組まれていて、休日返上です。中学は意地悪ですね。  夕方 目と鼻の先を流れる豊川(とよがわ)にハゼ釣りに行こうと思っています。今春生まれたばかりのかわいらしい夏ハゼ釣りです。ハゼは高級魚です。ご来豊時に何度か素通りした天ぷら屋さんでは、2尾で 500円は下らないと思っています。  ふぐの味は淡白で、味覚音痴の私にはわかりません。先日、「ふぐ刺しはポン酢の味がした」という変な人と話しました。ご一緒した 「ホテル 九重」 さんの、地元 舞坂港(まいさかこう)に水揚げされた「遠州灘天然とらふぐ料理」は名が通っています。季節限定です。お二人でお越しください。ポン酢の味を堪能しにお越しください。歓待いたします。 すてきなお便り、また父へ変わらぬお気づかい、どうもありがとうございました。 残暑厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「処暑に寄せて」

 明日 は二十四節気の「処暑」です。「暑さが落ち着き始める頃」です。そろそろ処していただけないものか、と連日の猛暑に天を仰いでいます。 「処遇はいつのことですか」 と P教授にお尋ねすれば、 「空のことは空に訊け」 と涼しい顔をしているばかりで、取り付く島もなく、一蹴された格好です。  コロナ禍といいこの猛暑といい、平らけく安らけく鎮まることを祈るばかりです。

TWEET「受験生のいない夏」

「受験生のいない夏」は気楽です。心労が半減したかのような開放感を覚えています。「コロナ禍の夏」は、オーバーフローの懸念と常に隣りあわせだった、と想像しております。  また、およそ三か月間に及んだ臨時休校中には、一年間分のカリキュラムを半年でこなせることを自覚しました。私が、また子どもたちが、いかに学校に目を奪われ、よそ見をしていたかの証左です。  これを機に「ご維新だ」と叫びはしたものの、終息までは陋習に甘んじ、「stay loose」を決め込もうと、意気地のないことを考えております。

「拝復 P教授様_一陣の涼風」

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「P教授の秘技_その一」 「残暑お見舞い申し上げます。 写真添付しました。 P教授」 おはようございます。 どこの溪谷なのでしょうか。 被写体も構図も陰影も申し分なく、すてきな写真に目を奪われています。 さわやかな一陣の涼風が吹き抜けました。 「いの一番」、どうもありがとうございました。玄人はだしの 添付画像に舌を巻いています。 残暑厳しきおり、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 「秘技_その二」 こちらの溪は打って変わって厳しい表情をしていますね。「厳父」と「慈母」ほどの差異を感じています。 『陰翳礼賛』。 順序がすっかり狂ってしまいました。いまシャワーを浴びました。これから洗濯機を回し、その後 午睡。目覚め次第物干し、ということにしました。 添付していただいた二枚の写真には、少なくとも私の今日の都合を変えるだけの力がありました。 度々のご送付、どうもありがとうござました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「秘技_その三」 滝に打たれる白装束のP教授の影が見え隠れしています。 ご一緒させていただいた、那智の滝は尊く、御神体でした。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 「その二,三」の画像は、「秘すれば花なり」ということにさせていただきました。「メール文章作法 練習帳」が続きます。書くことに事欠いています。あっぷあっぷしています。

TWEET「ステイ ルーム」

おはようございます。  昨日から二学期が始まり、早くも 2020/08/26,27,28 には定期テストが組まれています。昨夕 何十枚かのコピーを撮りましたが、残暑厳しき折 廊下のどん詰まりは過酷でした。コロナ禍の「はじめての夏」は冷房なしには過ごせず、「ステイ ルーム」の缶詰め状態を余儀なくされています。  昨日までは最高気温が 37℃前後でしたが、今日からは 33℃界隈で推移するとの予報です。この温度差を体感できると誠にいいのですが。エアコンの設定温度の 1℃の高低差は確実に分かります。その温度設定が外気の温度差を知る目安になるのかも知れませんが、その相関関係を上手く思い描くことができず、と柄でもないことを考えているうちに、体に熱を帯びてきたので止めました。  冷気が床を這い、長居をすると足首のまねき(三河弁でしょうか?)が悪くなり、アキレス腱が硬化し痛みを感じます。危険信号を察知した際には、庭に出て暖をとっています。  いまマクドナルドに籠城していますが、過冷房で、長袖のシャツを重ね着し、その上にウィンドブレーカーを羽織り、靴下を履き、膝掛けを掛け、と重装備です。首筋に直接風が当たる際にはフードをかぶっています。季節外れの格好をしているのは私ひとりで、不思議に思っています。長居厳禁、というマクドナルドさんの戦略かと邪推してみたりもしています。 お気づかい、どうもありがとうござました。 コロナ禍収束とはほど遠く、心労も絶えないことと拝察しております。くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 また。 K さんによろしくお伝えしてください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ジム通いの都人 はだいじょうぶでしょうか 。

「残暑お見舞い申し上げます_決意の夏です」

おはようございます。 ご無沙汰しております。 以下、父の近況です。   ソーシャルワーカーさんは転院したその日(2020/07/03)から、私の顔さえ見れば決断、決断と、たいそうな言葉で “決断” を迫ってきます。なぜ経過をみる時間を与えてくれないのか、不思議に思っていました。先週の火曜日には電話がありました。   その翌日リハビリの様子を見に行ってきました。歩行器を押しての、左手で手すりを右手で杖を突いての、よく見かける段差の、数段の階段の昇り降りもしていました。Nさんには遠来、お見舞いにお越しいただいた「江崎病院」さんでの退院時のリハビリと同程度のメニューをこなしていました。  帰宅後に備えて衣服の着脱の練習等々もしていただいています。右肩が痛く右腕があまり上がらないとのことでした。  これ以上の回復は望めないのか、望めないとしたら退院の時期は、とそんなことを思いながら見ていました。  土曜日に「介護老人保健施設 みのり」さんの相談員の方とお話ししました。今回が転倒での4回目の入院ですが、今後も転倒を繰り返す恐れがありますので、入所して「みのり」を拠点に、ここと自宅とを行ったり来たりするのがいいと思います、と言われ、また、威夫さんは私が説得しに行きます、とまで言われました。  その後、お父さんと相談し、また父も了解し、いま入所の手続きを進めています。「みのり」さんは同じ中学校区内にあります。  昨日 市内で2名の感染者が見つかりました。計48名です。車内にマスクが入れてあるのですが、無警戒、無防備、無頓着の「3つのM」が常態化し、毎回マスクを着け忘れ車に取りにもどっています。  それにしても暑いですね。エアコンもなくだいじょうぶでしょうか。結構 熱中症注意報が出ていますよね。くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 また。 残り少なくなりました夏休みを、北海道の短い夏を存分にお楽しみください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 TWEET「不蝶」 です。

TWEET「慶祝!慶賀!!神宮初登板」

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井澤駿介君の雄姿、確と拝見いたしました。 東大野球部と聞くと、 司馬遼太郎「国友鍛冶」 を思い出します。 渡岸寺の十一面観音像を拝観しに行く途中、国友の町を二回訪ねたことがあります。信長が鉄砲 500丁をあつらえたと伝えられる鉄砲鍛冶の町です。司馬遼太郎の『街道をゆく 二十四』「国友鍛治」の一節を刻んだ愉快な碑があります。国友は清潔な町です。 司馬遼太郎「国友鍛冶」_01 司馬遼太郎「国友鍛冶」_02 資料館で訊ねると、ご両親は亡くなられ、また国友充範氏は、NHKを退職され東京在住とのことでした。「鉄砲火薬商 / 国友源重郎商店」は現在 空き家です。 以下、 「国友鉄砲ミュージアム」 です。 ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 東大を応援することになるとは、ゆめゆめ思いませんでした。 最後は「陸の王者慶應」さんの矜持が優った、との感想を抱いています。 井澤君の今後に期待もし、また楽しみにもしています。 残暑厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:1543年 種子島に鉄砲が伝わりましたが、その数はわずかに二丁だけでした。

TWEET「おほめに預かり、慌てる」

以下、 「かまなび 第三の選択 集団か 個別か かまなびか」 さんのサイトからの無断引用です。 「自分の子どもを通わせたい塾」  以下のチラシの一部は全てコンビニ塾がばらまいている最近の広告です。ポストに入っていました。「無料」「0」のオンパレードチラシが目立っています。  個別指導の授業の価値はゼロだと自らうたっています。これら全て大手のコンビニ塾です。無料で新規のカモを釣り上げることに力を入れるのではなくて、今いる子達をどうするかを最優先に考えてほしいですよね。  これらのようなどこにでもあるコンビニ塾に対して、ここだったら自分の子どもを入れてもいいなと思える塾もあります。そんな全国の塾を見つけて勝手に紹介してみようと思います。 まずは、愛知県の塾です。 【塾・ひのくるま・本多塾】  ここの先生は、「塾をさっさと辞めて欲しい」とHPに書いているところがいいですね。やっぱり自学が大事なんだと認識されています。  また、「最短でできるようにする」ためにオリジナルプリントを作って指導されているようです。プロだったら最短でなんとかさせる手法を考えるのが普通なんですけど、コンビニ塾ではそうではありません。 「これができるようになるにはこれだけの授業を買ってくれ」というスタイルなんです。  それだけ授業を買わせてできるようにさせるのはプロの仕事ではないと僕は思いますね。  集団塾でも生徒を長時間拘束して無理させるところもありますけど、それもプロの仕事とは言えないでしょう。短期的な効果を出すために生命力を削らせるというのは受験で結果を出せても、それは後になって反動が起こることがあります。  グリグリ力まかせに治すようなヤブ整体のようです。以前私がお世話になった整体は、ほとんど力をかけずに指で軽くトントン押したりするだけで治してくれて大変驚きました。  僕が通っている歯医者の先生も、1・2回通えば直してくれます。  本当にすごい先生は少ない回数で、身体への負担をかけずになんとかしてくれるようです。  最短をうたうここの塾では、おそらく相当入念な準備をされているのでしょう。コンビニ塾では到底真似できない芸当だと思います。  2016/ 03/05 に書かれたものです。うかつにも昨日気づきました。おほめに預かり、慌てております。「ここの先生」とは自分のことか、と驚きました。過大評価

TWEET「符牒」

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 必要に迫られ、「入院診療計画書」の解読という難題をつきつけられた。私にとって記された文字は符牒だった。 「入院診療計画書」 その昔、S病院のS先生に、 「読めません」 と言うと、 「そんな不足があるなら、来なければいいじゃん」 と言われ、仰天したことがあったので、今回は恐々看護師さんに伺いに行った。符牒を付箋上に転換していただき、解らない言葉を説明していただいた。解読作業はあっ気なく終わった。慣れということもあるだろう、また専門用語を共有しているということもあるだろう。  しかし、“転成文字” での筆記は困りものである。学生時代、変体仮名で苦労した覚えがあるが、それには明らかな意味があり目的があった。そして何よりもそれは美しかった。

「前略 浅井よしたか様_祈!ご当選!!」

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 昨夜はさわやかな弁舌に聞き入っていました。どうもお疲れさまでした。  帰宅後早速、ヘッドライトの明かりを頼りにポスターを貼りました。コロナ禍終息、暑気払いに効果覿面と信じております。 「2020/11/08 豊橋市長選挙」 選挙までの三か月、カウントダウンしながら過ごす毎日は早いですね。 暑さ厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 また。 ご家族の皆様によろしくお伝えしてください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 GOOD LUCK!  FROM HONDA WITH LOVE.  運転手さんを待たせてしまっての、久しぶりに聞く浅井節、痛快でした。またの歓談、談笑を楽しみにしております。  今朝一番で、同種の「結束バンド」を「ダイソー」で仕入れ補強しました。「アメニモ負ケズ / カゼニモ」、野分ニモ負ケズ、「デクノボートヨバレ」、これで完璧か、と思っています。  二人分の給付金の半分を「国境なき医師団」に寄付しました。残りの半分の給付金の、それに見合った嫁ぎ先を探していました。「カエサルのものはカエサルに」,「お上のものはお上に」ということで、「東三河広域連合」のために託すことに決めました。近日中にお届けいたします  当時 当塾の塾生のお母さん方は、給付金を手にして、やる気満々でした。 お忙しいなか、ご丁寧なご挨拶どうもありがとうございました。 立秋を過ぎたとはいえ、残暑厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:今日「老健」さんの相談員の方にリーフレットを差し上げました。残り 54枚です。2時間ほど世間話をしてきました。さすがに相談員の方だけあって、沈黙には慣れていますね。 以下、 「浅井よしたか 公式サイト」 です。

「高山寺にかかる月」

 2019/05/19 に訪れた栂尾山 高山寺は、台風24号の被害で大規模修復工事中でした。わずかに石水院しかのぞむことができませんでした。高山寺の新緑はすばらしく、ぜひ来年の新緑の季節にいらしてください、と受付の女性にいわれました。  現在サイトには、令和2年3月31日をもって改修工事が完了した旨の、 「台風災害復旧工事完了の御挨拶」 が掲載されています。  新型コロナ禍の下、県境(けんきょう)をまたいでの旅行ははばかられ、明恵上人が友とした高山寺にかかる月を拝するのはいつの日か、とそんなことばかりを思っています。  今日は立秋です。残暑厳しき折、高山寺で求めた 「扇子〈国宝 鳥獣戯画〉」 をぱたぱたしています。 「高山寺慕情」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  彼はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁) 「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。

TWEET「風に順う」

 2015/08/03 から書きはじめたブログが 5年目を迎えた。今日から五歳児の作文である。脈絡もなく 書き散らした感を抱いているが、これも幼児の性向と思い納得している。  帆に風をはらみ、風に順うことにする。

「山賊の岩魚釣り」

伊藤正一『定本 黒部の山賊 ー アルプスの怪』山と渓谷社  林平の岩魚釣りはまさに名人芸だった。彼はどこの岩魚は、それぞれの時期にはどんな虫を食べているかをよく知っていたので、その虫の色に合わせて、毛針を自分で巻いた。  彼は流れのはたを、上流に向かって静かに歩きながら針を投げた。針を投げつつ歩く速さは常人がふつうに歩く程度だった。彼の手もとが軽くかすかに動くと、針は生きたもののように彼の思うところに落ちた。すると、まるで磁石にでも吸いつけられるように魚が吸いつけられてきた。つぎの瞬間、岩魚は空中をひらひらと舞うように飛んで、左手の手網の中へ飛び込んだ。そしてそのときには針がはずれているのである。万一途中で針がはずれても、岩魚だけは手網の中へ飛び込んでくる。まさに見惚れるほどの名人芸である。「拾うよりも早い」と彼は言っていた。  六月ごろまで黒部の谷にも雪渓がだいぶ残っている。雪渓の下にいる岩魚を釣るときは、彼は針を水平に振った。魚は水平に飛んで手網の中に入った。あまりのみごとさに私はしばしば見惚れていた。後日政府のある高官が「無形文化財にしようか」と言ったほどである。  調子のいいときは半日で十貫ほど釣ったこともある。そんな日にはそれ以上は釣らなかった。残りの半日で釣った岩魚を燻製にするためである。  通常、岩魚はだれかの釣ったあとしばらくのあいだは絶対釣に釣れないものだが、不思議に林平の釣ったあとは、直後でも釣れた。彼はぜんぜん魚をおどかしていなかったからである。  林平は漁をするだけでなく、山と魚を愛していた。釣りの往復にはかならず鎌を持って行って道端の草を刈りながら歩いた。また絶対に小さな魚は釣らなかった。まちがって小さなのを釣ったときは「来年まで、でかくなっていろよ」と言って逃してやった。 (中略)  その彼はもしだれかが毒などを流して岩魚を獲ろうものなら、怒り心頭に発して徹底的にこらしめた。「毒を流すと、幼魚や、岩魚の餌になる川虫までが死んでしまうから、当分岩魚が絶えてしまう」と言うのである。  したがって彼らのいたころは、悪い猟師が入らず、黒部は荒らされなかった。その点は、むしろ山賊のよい半面であった。(58-59頁)     遠山林平は、四人の「黒部の山賊」の一人である。 山賊とは良識ある山人、哲人のことだった。 「半日で十貫ほど」とは「半日で  3