TWEET「『ワーク・ライフ・インテグレーション』の渦中にて」
「ワーク・ライフ・インテグレーション」という言葉を偶然知った。
居職を旨とする私にとって、さして目新しさはないが、ただこのような働き方が一般的になれば、人混みに行方をくらますことができ、うれしいかぎりである。いまの私の暮らしぶりは、殊に田舎暮らしにおいては、好奇の目にさらされることが多く嫌気がさしている。
私にとっての問題は、むしろ「ワーク・ライフ・バランス」にある。時流に逆行し、旧態依然としているのはいつもの通りである。
遊民座食の徒には、お声がかかることも多く、ご依頼ごとも多い。なかなかそっとしておいてもらえないのが現状である。横槍が入ることもままある。「ワーク」無きところに「バランス」無く、プライベート無く、と他所目には映るらしい。「ワーク」と認知されてはじめて、積極的な意味での「ライフ」が生じ、「バランス」が求められるようになる。認知なきいまの私には立つ瀬がない、ということである。
そして、あらためて思うのは、小林秀雄の「陸沈」のことであり、また倉本聡の「知らん権利と放っとく義務」のことどもである。
働き方が変わろうとしているいま、その渦中にあって、二律背反の憂き目から逃れることの難しさを感じている。
居職を旨とする私にとって、さして目新しさはないが、ただこのような働き方が一般的になれば、人混みに行方をくらますことができ、うれしいかぎりである。いまの私の暮らしぶりは、殊に田舎暮らしにおいては、好奇の目にさらされることが多く嫌気がさしている。
私にとっての問題は、むしろ「ワーク・ライフ・バランス」にある。時流に逆行し、旧態依然としているのはいつもの通りである。
遊民座食の徒には、お声がかかることも多く、ご依頼ごとも多い。なかなかそっとしておいてもらえないのが現状である。横槍が入ることもままある。「ワーク」無きところに「バランス」無く、プライベート無く、と他所目には映るらしい。「ワーク」と認知されてはじめて、積極的な意味での「ライフ」が生じ、「バランス」が求められるようになる。認知なきいまの私には立つ瀬がない、ということである。
そして、あらためて思うのは、小林秀雄の「陸沈」のことであり、また倉本聡の「知らん権利と放っとく義務」のことどもである。
働き方が変わろうとしているいま、その渦中にあって、二律背反の憂き目から逃れることの難しさを感じている。