「マイワシの群泳_名古屋港水族館」

中学二年生の国語の教科書、
◇『国語 2 』光村図書 
には、
◇ 佐藤克文「生物が記録する科学 ー バイオロギングの可能性」
と題された作品が載っています。
 なお、「バイオロギング」とは、
「生物に小型のビデオカメラやセンサーを取り付けて画像やデータを記録し、行動や生態を調査する研究手法」
との記載が、「デジタル大辞泉の解説」にあります。

 私には、以下の文章が理解できなかった。群れをなせば、捕食者の目に留まりやすくなり、かえって危険だとしか思えなかった。

「潜水開始と終了を一致させる(アデリー)ペンギンたちの行動は、イワシなどの小魚が、群れになって捕食者の目をくらませるのと同じように、捕食者から身を守るための行動であるようだ。野生のペンギンにとっては、餌を効率よく捕ることも重要だが、捕食者に食べられないこともまた重要なのだ。」(47頁)

 インターネットで検索すると、間もなく答がみつかった。幸せな時代である。
    以下、「チーム八ちゃん_イワシが群れる理由」からの抜粋である。

以前、「どうしてイワシはこのような群れを成すのだろう?」と素朴な疑問を持ったことがあります。イワシに限らず群れを成す習性の生き物は多くいますが、生物が群れを作るのは、生存確率を高めるためです。群れを作る理由としては様々な説がありますが、主な説として
(1) 餌が捕まえやすくなる
(2) 他生物から捕食されにくくなる
という二つの説がありますね。イワシの場合は、後者が理由と考えられています。群れていると、遠くからでも一発で発見されてしまうというデメリットがありますよね。しかし、群れの一員でいることは、捕食者に発見されやすいという不利を覆せるほどの利益があるからだと思われます。つまり捕食者から狙いをつけられにくくなるということです。同じ顔、同じ大きさでキラキラ光るイワシたちが群れでいると、その中から特別な一匹を探すのは、「ウォーリーを探せ」の何倍も難しいことです。1匹に狙いを定められないと、次の瞬間の場所や行動を捉えることもできないので、群れの一員でいることだけで生存率がぐっと高くなるということなんです。その分いざ狙われた時に逃げやすく、結果的に生存確率が高まるのです。」

 群れの一匹に狙いを定めないかぎり、いかに獰猛な捕食者とて一匹の小魚さえ捕食することができないことを知り、意外に思った。考えてもみないことだった。

 前夜に第二テストの対策授業を終え、2019/06/28 に名古屋港水族館に、三万五千匹のマイワシの群泳を見にいった。水族館に行くとは思いもよらぬことだった。縁のないところだとばかり思っていた。「八ちゃん」の水族館大好き、に感染した。
 マイワシの群泳は、予測不能な動きをみせる一つの有機体、きらめく光の流れだった。
 これでは、「1匹に狙いを定められない」はずである。しかし、一網打尽という力ずくの、手荒い仕業は、想定外でにべもなく、イワシたちの無念さを思った。
 12:00 から行われた、水中に投げ込まれた、ペットボトル様の筒に入ったエサの上下動とともに揺らめく、「マイワシのトルネード」ショーを見て呆気にとられ、エンペラーペンギン、アデリーペンギンを確認し、「南極観測船 ふじ」を観覧後、「名古屋港ポートビル」の「展望室」に昇り、名古屋港を後にした。
 「南極観測船 ふじ」の狭い船内、貧しい設備や装備、手狭な船室、また担架を思わせるベッド等を目の当たりにして、観測隊員を後方から支援した乗組員たちの心意気を感じた。マイワシの群泳以上に刺激的だった。「展望室」からの眺望は見るに堪えず、早足に一周し、さっさと退散した。
 その後、栄、名古屋駅周辺をさまよい、「面倒になり」、在来線は使わず新幹線に乗車して帰宅した。
 すっかり都会の歩き方を忘れてしまった。右往左往し、立ち止まり思案にくれ、所在を人に尋ねてばかりいた。また、都会では喫煙所が、喫茶店くらいしか見当たらず、飢(かつ)えていた。殺生な仕打ち、としか私には映らなかった。
 
下記、絵本です。
あれこれ忙しくしているうちに思い出しました。
ちいさなかしこいさかなのはなし」です。
◇ レオ・レオニ (著) 谷川俊太郎 (翻訳)『スイミー_ ちいさなかしこいさかなのはなし』 好学社
ご参考まで。