岡潔,司馬遼太郎「仏によって神を説明していたのですからね」

岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」
岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫
司馬 こういう連中が出てきてだめになってきたのです。日本の天皇は気の毒なことになってきたのです。
 明治維新のために必要になってきたのでしょうが、国学者の平田篤胤(あつたね)、あそこから間違ってきていますね。また宋学の尊王攘夷の王というのを日本の天皇にあてはめた朱子学、陽明学の徒もやはり間違っている。しかし、平田篤胤がもっともいけません。
司馬 平田篤胤は困る。(38頁)

司馬(前略)明治になって、彼らに報いなきゃいけないというので神祇院をつくったのです。神祇院をつくりまして、神祇院に平田門下を全部入れました。神祇院で神主さんのことを取り扱わせる。ところが、神主のことをやっているだけでは満足しなくて、排仏毀釈(きしゃく)を実行したのです。それは明治政府、最大のミスです。
 廃仏毀釈をすれば、神道を説明する言葉がなくなってしまう。
司馬 仏によって神を説明していたのですからね。
 そうですよ。そのために聖徳太子が仏教をお取り入れになったのです。
司馬 神道はボキャブラリイを失ったわけですね。
 ボキャブラリイがないわけです。あと、お稲荷さんだの、なんだのいっても、全然神道にはなりません。(40頁)

「神 道 (7) 」
司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫
「神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。
 『万葉集』巻第十三の三二五三に、
 「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」
 という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。
 神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。
 神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、論をなすことはない。
 例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、山そのものが神体になっている。山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す」(66-68頁)

「ここで言っておかねばならないが、古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった」(11頁)


「神道には教義がな」く、神々は「言挙げせぬ」ことは承知していたが、
司馬 仏によって神を説明していたのですからね。
 そうですよ。そのために聖徳太子が仏教をお取り入れになったのです。
司馬 神道はボキャブラリイを失ったわけですね。
 今回の両氏の対談は、私の理解をはるかに超え、ただただ空回りするばかりであった。神道の、また仏教の根幹に関わる問題だけに蔑ろにすることはできないが、いずれ解るときがくればそれでよし、解らぬままに終わってもそれでよし、と思っている。いまは手をつけることなく、そっとしておく。