TWEET「ながめせしまに」

 ただながめていればいい、と私はよく子どもたちにいう。
 勉強する(学ぶ)とは、ながめることだと心得ている。
 暗記科目についていえば、頁を繰りつつ繰り返しながめることに尽きる。頑張る必要などなく、筆記するにいたっては論外である。また、数学や理科の思考力を要する分野にいたっては、殊更ながめることが大切になってくる。ながめていなければ解らないことがある。「徐(しず)かなること林の如く」,「動かざること山の如し」ということである。
 静観することに耐えられないいまの子どもたちは、常に他人(ひと)に頼らざるを得ず、気の毒である。自学自習など望むべくもなく、不憫である。
 とはいえ、我と「わが身」をふり返れば、「いたづらに」「世にふる」ばかりで、惨めである。


「『わかる』ということと『苦労する』ということは同じ意味なんです」(『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』新潮CD)