小林秀雄「学問の面白さは女遊びどころじゃない」(音声ファイル)


小林秀雄『現代思想について―講義・質疑応答 小林秀雄講演 第4巻』新潮CD 講演
久しぶりの「音声ファイル」の添付です。ぜひ小林秀雄さんの声をお聴きください。13:00 分からお聴きください。小林秀雄さんのお話しは、愉快ですね!痛快ですね!!
小林秀雄「学問をする喜びは女遊びどころではない」(Google ドライブ 音声ファイル)
小林秀雄「学問をする喜びは女遊びどころではない」(iCloud Drive 音声ファイル)

以下、逐語録です。
「町人(分限者)たちは、なぜあんな(伊藤)仁斎のところにやってきたかというと、彼らは、酒は飲みやった。女はやった。あらゆる遊びはやったんですよ。楽しみは。ただ一つ楽しみは、学問という楽しみをしたことないんです。」「学問というものを習ってみると、これほど面白いものはないということがわかった。そんなものは、女遊びどころじゃないと思った。」

「それで帰ってみると、なんだかものがわかってくるんだな。人間というものはどうして暮らすのが正しいか、ということがわかってくる。こんなうれしいことはないじゃないか。人間にこんなうれしいことはないじゃないか。そんな心持ちをみんなもってた。」
「そいでぇー、あの頃みんな、学問をしたいっていうのは、みんな、これあ人間の本能ですからな。学問をしたいなんてのは、本能ではなくなったのは現代ぐらいのもんです。ただ黙ってりゃ教えてくれるからね。だから欲望がないです。昔は黙ってりゃ教えてくれないから、だーれも。義務もないんです。学問する義務もないんです。」


小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編
「小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった!」
 まあ、学問をしたいというのは、人間の本能ですからな。学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです。(会場笑)。今は、ただ黙っていたって教えてくれるのだから、学問への欲望がなくなるのですよ。昔は黙っていたら教えてもらえないし、学問の機会もなかなかなかった。子どもの頃に、人生とは何ぞやなんて疑問が起こっても、誰も教えてくれないから、これは非常に熱烈なものになるのです。だから、京都のどこかにそれを教えてくれる人が出たとなれば、千里を遠しとせず、学びに行く。豆の袋を背負って、豆ばかり食べながら仁斎の講義を聞いたという人がいます。なにしろ面白いことが聞けるんだから、食うものは豆で充分なのです。仁斎の塾はそういう塾だった。
仁斎というのは、ご存知のように、その頃のアカデミーの学問に大反対をした学者です。つまり、学問をするから百姓がうまくいく、それが学問というものだろうと言った。いくら学問をしたって百姓の仕事に何の足しにもならん、町人の仕事にも何の足しにもならん。そんな幕府の学問というのは学問ではないと言い放った人です。学問とは、人間がどうやって生活したらいいか、その根本を教えるものだ。そういう学問なら、百姓にでも町人にでも役立つはずだな。(75-76頁)
◇ぜひ小林秀雄さんの声をお聴きください。