学生時代には、文キャンで講演をうかがう機会に恵まれ、十月の在京時には、 P教授の口の端に上った、『忍ぶ川』を読んだ。もう小説は読まない、という禁を破ってのことだった。 芥川賞受賞作である。三浦哲郎 二十九歳の作品である。 いつの頃からか、小説は冗長で我慢ならなくなった。登場人物の挨拶にはじまり、いくつかの伏線が敷かれ、感情の表出があり、情景の描写がある。それらが鼻もちならなくなった。うるさく感じるようになった。 六十になんなんとする私にとって、青春小説を読むことほど気恥ずかしいことはなく、時に逃げ出したくなるような気分にもなる。が、三浦哲郎は寡黙だった。 選者の川端康成氏は選評に「『忍ぶ川』は私小説だそうである。自分の結婚を素直に書いて受賞した、三浦氏は幸いだと思える」と述べている(奥野健男「解説」386頁) が、一概にそうとばかり、呑気にかまえてもいられまい。 「うちつづく子らの背信には静かに耐え得た父母も、こんなささやかなよろこびにはかくも他愛(たあい)なくとり乱すのである」(56-57頁) の一文は悲痛である。 事実は小説より奇なり。小説より奇なる事実を書いたこの作家の将来が、気が気でならない。 もう小説は読むまい、そんな頑な気持ちから解放されたいま、次は、 ◇ 井伏鱒二『貸間あり』筑摩書房 である。 以下、 「小林秀雄「井伏君の『貸間あり』」 である。