◇ すべては、「神さま」のために。 「目」のはたらき 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。 これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。 (中略) 孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。 日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。 「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。 (30-33頁) ◇ 白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉にははじめて触れました。 「死」の物語 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければならなぬときを迎えます。それが「死」というも