貴人なるお二方 西江雅之先生と平野威馬雄氏が語る「南方熊楠という博覧強記の異人 他一題」
◇日本最大の「枠外の人」、南方熊楠
平野 ぼくの知っている学者、文学者を総くるめにして、南方熊楠(ミナカタクマクス)ほどの「枠外の人」はいませんね。(148頁)
◇平野さん、南方熊楠に会う
◇南方熊楠の 書庫
平野 (前略)だって書庫が三階建で、階段がなくて、ちょっとひっかけると上がれる梯子になってるんですよね。とにかく何千冊、何万冊の本ですよ。
奥さんが一緒について来て、どれでも一冊取ってごらんなさいって言うんで、抜いて見たら、その当時のぼくにはどこの国のことばかわからなかったけど、その本の欄外の余白に、アラビア語だかヘブライ語だかのことばで全部書き入れがしてあるんですよ。中国のことばも中国の字でもって朱書きがしてある。
(中略)
西江 本当にあの人は、さまざまな国の文献を持っていてそれにいちいち目を通していたらしいですね。うわさはうわさとしても、大英百科辞典を全部読む馬鹿はいない。だがそれを二回も読んだ奇人がいる。それが南方熊楠、だとか神話伝説的な話も多い。
平野 平凡社の『南方熊楠全集』の中に、ところどころ英語やフランス語の論文が出てるけど、フランス語なんかうまいフランス語ですものね。あんな人はもうでませんね。(152-153頁)
◇南方熊楠の記憶力
西江 あの人のやり方は暗記ひとすじで、とにかく信じ難い暗記力ですね。ああいうタイプの人に、トロイの発掘をしたシュリーマンがいますが、シュリーマンなんかは外国語をやるとき、対訳本を入手して初めからその本一冊を丸暗記したらしい。(154頁)
平野 (前略)そうしたら二晩がけでもって、ノートがなくなった日から半年後のその日までの(日記の)、温度と天候と、したことをいっぺんに書いちゃったっていうんだな、記憶で。それは事実らしい。その話は奥さんに聞いたから。たいへんな記憶力ですよね、実際。(156頁)
◇珍しい羞恥心
平野 あの人がグリニッジの天文台に行って、子午線の位置が違うと文句を言ったので、「南方熊楠によって子午線の場所を変えた」と彫ってあるそうですよ、南方熊楠二十六歳の時。(157頁)
一九八一年七月・九月 / 駿河台 山の上ホテルでの対談です。西江雅之先生 四十四歳のときのご対談です。「貴人」を自称する、お二方の「気品」に満ち溢れた対談集です。
西江 ああいう種類の学者(南方熊楠)というのは、日本のような国では本当に珍しい。
田辺にひっこんでいたころはハダカの上にユカタみたいなもの一枚をひっかけただけで外を歩いていたとか。そして、その理由というのが、自分は恥ずかしがり屋で人に出会って正面からまともに顔を見られるのが恥ずかしい。だから、こうして歩いていて人に出会ったら、前方を開いてヘソ下をさらけ出せばみんなはそっちに気をとられて下の方ばかり見ている。そうすれば、顔を面と見られることもないから自分は恥ずかしくない、とか言って(笑)。でも、考えてみれば、ぼくの場合では、下の方もささやかな代物なので、見られるとかえって恥ずかしい。やはりまずいつくりでも、上の方を見られた方が良いかな(笑)。(157-158頁)
◇奇人でなく異人
平野 (前略)とにかく南方さんという人は大変な人で、法科、理科、民俗学、医学、…学と名のつくもの全部のタイトルをもらえる人なのね。(158頁)
西江 そう言えば、数年前に雑誌の『文芸春秋』に、今、自分がある特定の先生につくとしたらどういう先生につきたいかという、そういうものを書けといわれて書いたんです。そのとき、ぼくは南方熊楠を書いたんです。
(中略)
で、今の人間研究は多くの場合は、現実の中から選んできた狭いテーマをひとつ独立させて挙げておいて、そのテーマの中の仕組みやら構造やらを一所懸命いじくりまわしているんですね。ところが本当はそのテーマが成り立っているのはそれをかこむ他のさまざまな現実との関係でできている。南方はそんなような所にも注意をむけている点があるんです。たとえば、祭りなら祭りというテーマがあると、彼はその内部をいじりまわすだけではなく、その祭りというテーマ自身が他のもろもろの事柄との関係から出来ているというふうにです。すなわち、ある一つの事柄が成立するには、その事物と縁を持つ周囲があると。
平野 そう、そう。(158-159頁)
西江 いずれにせよ、ああいう人の全集は、買っても全部読むことが出来ないというのがちょっとシャクですよ(笑)。世間はあの人を奇人だと言いますが、ぼくは奇人と思わないんです。
平野 奇人と言われるのをいやがるんだ、あの人は。
西江 そうでしょうね。あえて言えば、コトナッタヒトすなわち異人じゃないですか。
平野 異人ですよね。
西江 スケールが異なってるんですよ。世間からずれているんではなくて、世間をずっと上回ってしまっている。
平野 本当に大変な人ですね。(160頁)
ジャズピアニストの山下洋輔さんは、西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 の 〈解説〉「西江さんの不思議な魅力」のなかで、
「いわく、あの人は三年間一度も風呂に入らない。地球上に存在する言語は全部理解できる。アフリカでは澄んだ水たまりの水は飲まない。バイキンも住めないほど毒かも知れないからだ。さらに、西江さんは子供の時はオオカミ少年で、二階からヒラヒラ飛び降りては野原を走り回り、トカゲやスズメやイヌやネコをつかまえて生のままむさぼり食っていた。等々、話を聞くたびに極端な知識人と極端な野蛮人が一緒になったようなイメージがあって、不思議な魅力を感じ続けてきた。
こういう人はつまり「哲人」なのだと勝手に決めて、だから、会う機会があるたびに何でもかんでも聞いてしまう。すると、ハナモゲラから明治維新まで西江さんは何でも答えてくれるのだ。」
当代きっての「奇人」として知られる西江雅之先生と平野威馬雄さんのお二方は、対談集 西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート のなかで、自分たちは「気品」高く生ているから、「奇人」ではなく「貴人」であると、仲睦しく意気投合していらっしゃいます。
また、山下洋輔さんは、西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 の中で、
「現地調査の時にネズミを生齧りにしたなどという暴挙に、『よくバイキンにやられませんね』と言ったら、『それは気品の問題です』と答えた、どこかシャイでナイーブな西江さん像に重なる秘密かも知れない。」
と書かれています。(238頁)
この世の中は、「気品」あることこそがすべて、であることを学びました。
早大の三年次に西江雅之先生の「文化人類学」の講義を受講しました。講義はいつも恥じらいのある口調ではじまりましたが、時の経過とともにことばが疾走しはじめました。「エスノセントリズム」「エスノセントリック」という言葉をよく口にされました。
講義中に「南方熊楠」さんのお話をされたことがありました。西江雅之先生が師事されたいと思っている人物は「熊楠」さんである、とのお話であったように記憶しています。講義後には早速書店に向かいました。当然「文化人類学」の後の二時限目の講義は欠席しました。故あってのことです。然るべきことでした。全く迷いはありませんでした。「懐の深い大学?」でした。
「“文化”という語の定義を試みよ」
「“ETHNOCENTRISM”という語を説明せよ」
というのが、前期、後期のレーポートの題名でした。
下記、当該箇所についての私の講義ノートです。
2015/06/14 にご逝去されたことを今日はじめて知りました。
西江雅之先生の「老病死」については思いもよらないことでした。
それほど精力的でした。
それほど「浮世離れ」していました。
それほどまでに「貴人」であり尊い存在でした。
訃報に接しご冥福をお祈りするばかりです。
大切な方たちが一人また一人と亡くなられていきます。
大切な方たちとのお別れが続きます。