P教授曰く「文章がやせ細るだろ」_「四隅の時間」を惜しんで「四上」の読書です。
2016/11/04 の朝、 P教授からお電話をいただきました。その際には、
「なかなか落ち着いて本を読む時間がもてません」
とこぼすと、
「文章がやせ細るだろ」
とのお言葉が返ってきました。
今回は「四隅(しぐう)の時間」を惜しんで、「四上(しじょう)」の読書です。裁判官時代の倉田卓次の一日の「四隅の時間」は、「平均四十分」であって、「平均四十分」にしてこの豊かさですので、驚きもし、また考えさせられもします。
なお、「四隅の時間」とは、「旅行鞄にものを詰めるとき、もう入らぬと思っても、四隅にはまだ小物をつめるスペースは必ずある。余暇利用も、休暇をまとめて取ることばかり考えず、この四隅の小さな時間の利用を心掛けよという教え」のことであって、「四上」とは、「文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』」に、「馬を車に改めた上、『路上』を加えて『四上』とし」た、と倉田卓二は書いています。
「本を読む場所」倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房 (41-50頁)
「私の読書法」倉田卓次『続 裁判官の書斎』勁草書房 (131-140頁)
また、山村修は、倉田卓次の読書を称して、以下のように記しています。
「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である」。これに対して、倉田卓次の読書は「社会に出ている人」、「特殊ではない一人の生活人の読書」である。「そこに生活人の読書の手本を見たように思った。」
山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(111頁,144頁)
私に欠けているのは、寸暇を惜しんで、ということです。しかし、私には「午睡」や「ぼんやりとしてひとりで過ごす時間」が不可欠であることもまた事実であって、とうてい読書家諸氏のお仲間には入れてもらえるはずもなく、「文章はやせ細り」、天を仰ぐばかりです。
下記、漱石の「Do you see the boy」の、倉田卓次の読みは「あざやかです」。ぜひ、ご覧になってください。
なお、出典は、
倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房 (51-57頁)
「漱石の『猫』の中の一行について ーザ・ボーイ か ゼ・ボーイか」(51-57頁)倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房 (51-57頁)
です。