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「中学生と太宰治と『人間失格』と」

「第一の手記」 太宰治『人間失格』新潮文庫  恥の多い生涯を送って来ました。  自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。(9頁)  先日、中二生の女の子が、太宰治の『人間失格』を読んでいました。  デカダンスといい、頽廃的といい、虚無的といい、背徳的といい、中学生の子どもたちには何をいっても通じませんが、不健康で病的な世界は、中学生にふさわしいはずもなく、事情を話し、早速読むのをやめるように言いました。病の温床にもなりかねません。  十年ほど前には中一生の男の子が、やはり『人間失格』を読んでいるのをみて、あわてて、読むのをやめるように諭しました。  二人が手にしていたのは、いずれも中学校の図書室で借りてきた文庫本です。また、 光村図書出版『国語 2』の教科書に掲載されている「走れメロス」の、「作者」,「著書」の紹介欄には、「人間失格」の文字があります。たとえ、日本文学史上で、異彩を放つ作品であろうとも、中学校の図書室からは撤去、教科書には不記載の処分が適当だと思っております。  「夏の100冊」の『人間失格』のカバーに、今時のイラストが描かれているのを目にした際にも驚きました。  確かに、『人間失格』というタイトルは蠱惑的です。  大学では日本文学を専修しました。とある短期大学の国文科では、『人間失格』は禁書リストに入っているとのことでした。そのお話を講義でうかがった際には、さすがに呆れ、友人と顔を見合わせました。文学作品の自ずからもたされた毒気を、教育的な配慮という美名の下に骨抜きにしてしまうのはいかがなもの でしょうか。  むせ返るような夏の盛りに、『人間失格』を読んでいる同じクラスの女の子がいて、どこか季節外れの読書だな、と思って眺めていたことなども思い出します。  「人間にとって不健康の最たるものは、生きていること」だと認識しております。我が身を顧みれば、どこか皆「人間失格」であり、中学生の早い時期から、「人間失格」の疑似体験をする必要があるとはとても考えられません。

「九日遅れの小満の日に_身重の体です。おめでたの徴しです?」

「拝復 P教授様」  昨日第一テストが終わりました。今回はいつになく消耗し、ヘロヘロです。そして容赦なく、昨日より三日続けての、父の受診へのつき添いです。その待ち時間の長さに辟易としています。今日は昼過ぎに目を覚ましました。  「身重の体」です。おめでたの徴(しる)しです?   『麦秋』の季節です。小津安二郎監督です。野田高梧です。笠智衆です。原節子、田中絹代、淡島千景、杉村春子です。銀座並木座での学生時代の思い出です。  この機を逸することなく、疾走してください。

TWEET「小さな命の充溢する居住空間」

 それは野分接近中のことだったのでしょ うか。それとも冬にさしかかった頃のことだったのでしょうか。南に面した二階の戸袋の内側にカマキリの卵を見つけ、文机の上にそっとのせておきました。  そして、今日の昼、カマキリの孵化を確認しました。体長1cm 足らずのカマキリが、部屋の中を蠢いている姿を見るのは愉快です。時折手や腕を、足や脚をくすぐられて、キャッキャ、と奇声をあげています!?  孵化は緒に就いたばかりです。何百という小さな命が充溢した居住空間を脳裏に描くことは健康的です。一条の光が差しています。今後の行方を静かに見守りたいと思っています。  以上、カマキリ誕生の第一報でした。

TWEET「テスト週間中につき」

すべては、2018/05/28,29 に行われる定期テストに向けて動いています。容赦なく、遠慮なく、テスト対策に追い立てられています。孤立無援です。 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 〈『意識と本質』_はじめから〉は、「Ⅹ」章の244頁、 「禅を無彩色文化とすれば、密教は彩色文化だ、と言った人がある。」 で、中止したままです。 また、2018/05/21 に、白川静の、以下の三冊が届きましたが、封を切ることもなく積読中です。 白川静『漢字―生い立ちとその背景』岩波新書 白川静『漢字百話』中公文庫 BIBLIO 白川静『初期万葉論』中公文庫 BIBLIO 井筒俊彦の「哲学の文章」と中学校の教科書の「文学の文章」との間には埋めるべくもない懸隔があり、「哲学の文章」に親しんだ脳内は、混乱をきたし、落ち着きを欠いていることと思われます。老化と相まってなにかと疲れやすく、体の欲するままに午睡を、また現実逃避としては、眠りに逃げ込むに如くは無く 、惰眠 最優先の生活は相変わらずです。睡眠過多です。生活習慣病です。

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会   和歌における「見る」働きに、実存的ともいえる特別な意味を込めて論じたのが、白川静だった。新古今あるいは万葉にある、「眺め」、「見ゆ」という視覚的営為に、二人(白川静と井筒俊彦)が共に日本人の根源的態度を認識しているのは興味深い。この符合は、単なる学術的帰結であるよりも、実存的経験の一致に由来するのだろう。  井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい。  以下に引くのは白川の『初期万葉論』の一節である。   前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 〔中略〕  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である。  「『みる』ことの呪歌的性格は『見れど飽かぬ』という表現によっていっそう強められる」とも白川は書いている。  井筒、白川の二人が和歌、すなわち日本の詩の源泉に発見したのは、芸術的表現の極ではなく、「日本的霊性」の顕現だった。 (中略)  白川は文字を「見る」ことから始めた。文字の前に佇み、何ごとかが動き出すまで、離れない。次に彼が行ったのは、ひたすらにそれを書き写すことである。すると文字は自らを語り始めると白川は考えた。井筒もまた、同じ姿勢で、テクストに対峙したのではなかったか。 (中略)  学問とは知識の獲得ではなく、叡智の顕現を準備することであるという態度において井筒俊彦と白川静は高次の一致を現出している。(251-253頁)

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 すべて名づけられたものはその実体をもつ。文字はこのようにして、実在の世界と不可分の関係において対応する。ことばの形成でなく、ことばの意味する実体そのものの表示にほかならない。ことばにことだまがあるように、文字もまたそのような呪能をもつものであった。  井筒が書いたのではない。『漢字百話』中の白川静による文章である。 (中略) 呪の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。白川は「呪能」と同義で「呪鎮」という表現を用いることもある。  白川静を登場させるのは唐突に見えるかもしれない。しかし、「コトバ」、文字に対峙する態度はもちろん、孔子、荘子、屈原、あるいはパウロといった人物について、あるいは詩経、万葉集、和歌誕生の来歴、すなわち詩論など論じた主題と対象、発言を並べてみれば、交わりがなかったことがかえって不思議に思われるほど二人の論説は呼応している。 文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし、聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。(白川静『漢字』岩波新書)(241-241頁)  井筒と白川の間に見るべきは言語観の一致だけではない。むしろ、両者の「神」経験の実相である。「文字は神であった」以上、それを論じる学問が、神秘学、すなわち高次の神学になることは白川には当然の帰結だった。井筒俊彦にとってもまた同じである。言語学 ー 「コトバ」の学 ー に井筒俊彦が発見していたものも、現代の「神」学に他ならない。  井筒は、ヴァイスゲルバーとサピア=ウォーフが、何の直接的な交わりもないにもかかわらず、ほぼ同じ時期に高次な同質な思想を構築していたことに驚き、共鳴する思想が共時的に誕生することに強く反応している。同じことは、彼自身と白川静にも言えるのである。(244頁) 「唐突」にも、白川静でした。思いもかけず、両氏の符合でした。

「言語、言葉、コトバ_「意識と本質」を読むとは」〈『意識と本質』_はじめから〉

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  「意識と本質」の連載(『思想』岩波書店 1980年6月〜1982年2月)は八回だったが、刊行されたとき(岩波書店 1983年1月)には十二の章に分けられた。もちろん、加筆補正はされているが、文脈的には一見、大きな差異はないようにも映る。しかし、「コトバ」の一語は例外だった。連載時に、特別な意味を含み、書かれた「言葉」の文字は、刊行にあたって、すべて「コトバ」に改められた。「言葉」、あるいは「言語」と「コトバ」を井筒が明確に使い分けたのは、「意識と本質」連載中、第七回(「Ⅹ」章 1982年1月)のときである。「コトバ」の一語との遭遇は、作者にも予期せぬ経験だったに違いない。  「意識と本質」を読むとは、言葉がコトバへ、そして根源的コトバ、すなわち「存在」へと変貌してゆく井筒俊彦における精神の劇を目撃することに他ならない。マラルメに触れ、彼は、「コトバ」は「『本質』を実在的に呼び出す」と書いた。言葉は「本質」を表現するに留まるが、「コトバ」は絶対無の海から事物を創造的に喚起するというのである。すなわち「コトバ」の秘儀とは「根源的に存在分節の動力」に他ならない。(382-383頁) 「意識と本質」が第十章まで来ると、「コトバ」の一語は、急速に究極的な相貌を帯びてくる。彼は空海とユダヤ神秘主義カバラーに触れ、「深層意識的言語哲学」を展開する。「神のコトバ ー より正確には、神であるコトバ」。井筒は、「神」と「コトバ」は不可分に実在していると言明する。言葉に始まり「コトバ」に収斂した井筒俊彦の思想を象徴するこの章こそ、「意識と本質」における哲学的ラムダ巻に他ならない。(384頁) 「井筒俊彦にとって『意識と本質』の執筆は、氏の「意識と本質」の実在体験と同時進行だった。今回、「言語アラヤ識」という井筒俊彦の発明に立ち会うことによって、井筒俊彦の創造、生成過程の一端を垣間見た気がする。」と、 「『言語アラヤ識』を索めて 2/2_井筒俊彦 読書覚書」 の掉尾に書き添えたが、それは自身だけの出来事ではなかった。一個人をはるかに超えて、彼方にまでこだました。そして、いまなお反響し、また波及しつつある。それは地殻変動による衝撃波にも比すべき一大事だった。椿事だった。

「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」〈『意識と本質』_はじめから〉

 井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「言語哲学者」としての空海の内に、井筒は同様のものを認めた。空海は、日本で最初の「深層的言語哲学者」だった。  なお、「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」とは、「言語に関する真言密教の中核思想を、密教的色づけはもちろん、一切の宗教的枠づけから取り外し」、「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」( 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会 、 「言語哲学としての真言」, 425頁)から眺めた際に広がる「空海の風景」のことである。 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 存在分節の過程を、空海は深みへ、深みへ、と追っていく。意識の深層に起って表層に達するこの世界現出の過程を、逆の方向に遡行するのだ、ついに意識の本源に到達するまで。「究竟して自心の源底を覚知」する、と彼の言う(『十住心論』)その「自心の源底」に至りつくまで。  存在分節過程のこの遡行において、空海の鋭い眼は、存在分節の言語的性格を見抜く。存在分節が、元来、コトバの意味の作用によるものであるということは、表層意識の面だけ見ていたのでは、なかなかわからない。だが、分節された様々の事物の生起過程を意識の深みにまで追っていくと、分節そのものの言語意味的性格が、次第に現われてくる。すなわち、経験的事物として我々の表層意識に現象する前に、存在分節は、深層意識において、純粋な意味形象(イマージュ)だったのだ、ということが。  これらの純粋意味形象は、いずれも、空海のいわゆる「自心の源底」のエネルギーが、本論で私が言語アラヤ識と呼んできた深層意識の言語的基底の網目構造を通して第一次的に分節された形姿。そして意識の源底はすなわち存在の源底。存在の究極の源底(「法身」)それ自体を、空海は大日如来として形象化する ー より正確には、空海の深層意識に、存在の源底が大日如来のイマージュとして自己顕現する。だから、空海にとっては、存在界の一切が究極的、根源的には大日如来のコトバである。つまり一切が深層言語現象である。(221-222頁) 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  空海における密教、すなわち真言密教もまた、「コトバ」を「万物の始原であり

「井筒俊彦『意識と本質』_はじめから」

2018/05/08 から、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質』岩波文庫   を再読しはじめた。乱脈な読書では追いつかなくなった。「はじめから」は、私の不甲斐なさゆえに「はじめて」のように映じたが、井筒俊彦の手さばきは、初読時にもまして鮮やかであった。 「意識はいろいろ違った仕方で意識であり得る、とメルロー・ポンティが書いている」 との記述が、99頁にあるが、「意識は(が)いろいろ違った仕方で意識であり得る」ならば、禅における無「本質」論を含め、 「本質はいろいろ違った仕方で本質であり得る」 ことに間違いないが、井筒俊彦の用いる、「本質」という術語に戸惑っている。  「はじめから」、「Ⅶ」章(180頁)まで読み直した。「Ⅵ」章,「Ⅶ」章は、「禅(無『本質』的存在分節)」に関する「論究」に割かれている。 「通常、言語道断とか言詮不及と称される禅体験のこの機微を、できるところまで、敢えて言語化してみよう。」(168頁) との、婉曲的な表現とは裏腹に、井筒俊彦は、易々と、「言語道断」という掟破りをしてのけた。細大漏らさずということに疑念をはさむ余地はないが、私には見当がつかない面も残されている。  また、「文化的無意識」としての「言語アラヤ識」の考察もあり、興味は尽きなかった。 玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」 『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会  今でも私は、井筒先生の禅にまつわる著述に出逢ったときの興奮が忘れられない。禅僧以外で、これほど明晰に禅を語った人がいただろうか。いや、禅僧は禅の内部で語るのだから「明晰に」というわけにはいかない。あらゆる哲学や宗教を知り尽くした井筒先生だからこそ、思想としての禅の位置づけが明晰になされたのだろう。禅の詩的な側面をうまく取り出し、世界に紹介したのが鈴木大拙翁の功績だとすれば、井筒先生は禅の奇特さを世界的な思想の枠組みの中に示してくださった。私などに申し上げる資格がないのは明らかだが、禅にとって井筒先生は天恵の如き存在であったと思う。  『禅仏教の哲学に向けて』は勿論貴重な著作だが、むしろ『意識と本質』において、試みられた東洋的広がりの中での禅の位置づけと分析が、私には極めて刺激的だった。いったいこれほど広く深く綿密な仕事がどうしたら可能なのかと、驚嘆しなが

「拝復 Nさんへ_勘どころは、『適当で』,『いい加減に』です」

北見のみごとな芝桜と、その上空には、近隣 で 山火事でもあったかのような、 きな臭い雲が立ち込めたお写真、どうもありがとうございました。 6月2日に運動会とは、ちょっとフライング気味ですね。紫外線を考慮してのことでしょうか。 夏休みには、ヨーロッパがいいですね。ヨーロッパ周遊のためなら不眠不休で頑張れるような気がしています。 私は常に、「適当で」,「いい加減な」授業を心がけています。勇んで授業をすると、とかく子どもたちを置き去りにしがちです。私の授業の、また生き方の、心もとない勘どころです。 お忙しいなか、ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「前略 Nさんへ_張り切り過ぎは、空回りするばかりです」

おはようございます。 GW 中は、ゆっくりできましたか。 新たに今日からですね。子どもたちは笑顔の先生を望んでいることと思います。 次の目標は、梅雨入りまで、といいたいところですが、北海道には梅雨はなく、夏休みまでといえば北海道の夏は遅く、お父さんの来豊まで、ということにしましょう。 新任の先生の張り切り過ぎは、とかく空回りするばかりで、子どもたちにとっては迷惑な話です。子どもたちとの関係がギクシャクし、鬱病、休職された先生方を何人かみています。新卒の先生方の今には、誰一人として期待していません 。ゆっくりした足どりで歩を進めてください。要は、「いい加減に」,「 適当に」ということです。 では、では。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

この時期にこそ、「数学ワンダーランド_正の数・負の数のたし算・ひき算」再びです。

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「負の数って何のため?」( 9-10頁) 小島寛之『高校への数学 数学ワンダーランド』東京出版 まずはじめに、「3-8」を、「3ひく8」という数式としてみるのではなく、(+3)と(-8)という2つの数字として、とらえていることを確認してください。 (+3)(+8) (+3)(-8) (-3)(+8) (-3)(-8) という、とらえ方しています。 「正の数・負の数のたし算・ひき算」 「3. 中和して消えるイメージ」 まさに、「ワンダーランド」です。私の手元にある『高校への数学 数学ワンダーランド』は、H7/11/30 に出版された初版本です。小島寛之氏の発明には、H8/ 04/01 の開塾以来ずっとお世話になっています。明解です。すてきです。「正の数・負の数の加法・減法」の理解のはかどらない 子どもたちが案外います 。はじめの一歩からつまずくのはあまりにも酷です。一人でも多くの先生方の、子どもたちの、また中学校の数学に関わる方たちの目にとまることを願ってやみません。 追記: ちなみに、私は、プラスの電気を帯びたシャボン玉とマイナスの電気を帯びたシャボン玉が、ひきあって「こわれて消え」る、と説明しています。

小林秀雄「面倒になったからだ」

若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会  の166頁には、 「小林は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」 との一文があるが、歯切れのよい、いかにも小林秀雄らしい物言いである。   「感 想」 小林秀雄『人生について』中公文庫 終幕は、死刑を宣告された法廷であるが、彼(ソクラテス)は「弁明」の終りに臨んで、「裁判官たる市民諸君、実は、驚くべき事が、私に起ったのである」と冒頭し、次の様な打明話をする ー 、平素あれほど馴染みだった例のダイモンの声が、私の最悪の日に当って沈黙して了った。瑣細な事にでも、あれほど 屢々私に干渉した声は、今日、家を出た時から、私の言動に、例の禁止の命令を全く発しなくなって了ったのである。(226頁)  ダイモンが、「 禁止の命令を全く発しなくなって了った」のは、死を覚悟したソクラテスには、何もかもが 「面倒」になってしまったからであろう。 一切を「面倒になった」と、打ち遣ったからこそ浮かぶ瀬があったのだと思う。  以来、「面倒になった」と投げ遣りになることも訓練次第、と思うようになった。 以下、 「井筒俊彦の死に寄せて」 です。

「井筒俊彦の逝去に寄せて」

若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会  それ(井筒俊彦の突然の死)は突如としておとずれた取り返しのつかない挫折、断絶だっ たのだろうか、私はそうは思わない。論文・著作という外的完成ではなく、次元的にそれに先行する地平、つまり実在的意識地平内に、内的にふと生起する一瞬の無空間的・無時間的な、意味事態磁場(フィールド)こそが、求道的哲学者であった彼自身にとっては少くとも、より真正で、より如実で、よりポジティヴであっただろうから。  それ以上彼にとって何が必要だったろう。知覚感覚的次元での彼の生命の力動性は、彼の突然の、肉体的な事実上の死、以前に既に、その凝固性を失っていたのではないだろうか。それでも…にもかかわらず…最後まで、彼は哲学的思索の意味磁場(テクスト)を紡ぎ出し織り出し続けていた…尽瘁するまで。(井筒豊子「『意識の形而上学』あとがきに代えて」)  確かに井筒の魂は、「肉体的な事実上の死、以前に既に、その凝固性を失っていた」。小林(秀雄)は、ランボーが詩を棄てた原因を、「面倒になった」からだといった。哲学者の言葉は、すでに理知と直観と熱情を論理に組み替えるという営みが「面倒」になっていた。哲学者のなかで熟していった存在への深い理解と「信仰」は、すでに此界での反響を期待していなかったのかもしれない。(166頁)

「立夏の日に、『熊よけの鈴の音』です」

一昨日、登山が趣味の叔父に、 「いまでは、熊よけの鈴の音は、エサの在りかを教える音である」 ことを聞き笑った。クマが学習し、ヒトが追いやられる羽目となった。鈴の音にはご用心、ということに変わりはないが、物騒な時代になったものである。

「『もの』が明らかにみえる者たちがいて_小林秀雄 読書覚書」

「私の人生観」 小林秀雄『人生について』中公文庫 西行の歌には諸行無常の思想がある、一切空の思想がある。そういう風に言うなら、そんなものは、当時の歌に、何処にでも見附かるだろう。一切は空だと承知した歌人は、当時沢山いただろうが、空を観ずる力量にはピンからキリまであって、その力量の程は、歌という形にはっきり現れるから誤魔化しが利かぬ。空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなければならぬ。こうなると、問題は、尋常の思想の問題とは自ら異ったものになる筈である。般若の有名な真空妙有、まことの空はたえなる有であるという言い方は、そういう消息を語っていると考えてよい様に思われます。西行の言葉を借りれば、虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるという事がなければならぬという事になる。(21-22頁) 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり、と芭蕉は言っているが、彼のいう風雅とは、空観だと考えてもよろしいでしょう。西行が、 虚空の如くなる心において、様々の風情を色どる、と言った処を、芭蕉は、虚に居て実をおこなう、と言ったと考えても差支えあるまい。(28頁) 空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである、現実を様々に限定する様々な理解を空しくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴する事が出来るとする修練なのである。かくの如きものが、やがて我が国の芸術家の修練に通じ、貫道して自分に至ったと芭蕉は言うのだが、今日に至っても、貫道しているものはやはり貫道しているでありましょう。仏教によって養われた自然や人生にたいする観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に滲透しているのであって、…(29-30頁) 真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。何とも名附け様のないかくの如く在るものが、われわれを取巻いている。われわれの皮膚に触れ、われわれに血を通わせてくるほど、しっくり取巻いているのであって、…(20頁) 正岡子規の万葉復興運動以来、西行より実朝の方が、余程評判がよろしい歌人となった様ですが、貫道するところは一つなのだ。子規の感動したのは、万葉歌人の現実尊重であり、子規は写生と言う言葉を好んで使った。斎藤茂吉氏の「短歌写生の説」によると、子規

「拝復 P教授様_さらば一生を二生するのみ」

「人に二生あらず。されば一生を二生するのみ」 元気になりました! おはようございます。  「元気になりました!」宣言、うれしく思っております。 井筒俊彦の著作ばかり読んでいます。「慶應義塾大学出版会」の書籍に囲まれています。孤立無援、四面楚歌のなかで孤軍奮闘中です。多分野を横断し、「多生」を生きた天才を戴いております。井筒俊彦という清けさのなかにいます。 お便り、どうもありがとうございました。 ひき続き、すてきな GWをお過ごしください。  TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.