小林秀雄「面倒になったからだ」

「小林は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」
との一文があるが、歯切れのよい、いかにも小林秀雄らしい物言いである。
 
「感 想」
小林秀雄『人生について』中公文庫
終幕は、死刑を宣告された法廷であるが、彼(ソクラテス)は「弁明」の終りに臨んで、「裁判官たる市民諸君、実は、驚くべき事が、私に起ったのである」と冒頭し、次の様な打明話をする ー 、平素あれほど馴染みだった例のダイモンの声が、私の最悪の日に当って沈黙して了った。瑣細な事にでも、あれほど屢々私に干渉した声は、今日、家を出た時から、私の言動に、例の禁止の命令を全く発しなくなって了ったのである。(226頁)

 ダイモンが、「禁止の命令を全く発しなくなって了った」のは、死を覚悟したソクラテスには、何もかもが「面倒」になってしまったからであろう。一切を「面倒になった」と、打ち遣ったからこそ浮かぶ瀬があったのだと思う。
 以来、「面倒になった」と投げ遣りになることも訓練次第、と思うようになった。

以下、
「井筒俊彦の死に寄せて」
です。