「言語、言葉、コトバ_「意識と本質」を読むとは」〈『意識と本質』_はじめから〉

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会
 「意識と本質」の連載(『思想』岩波書店 1980年6月〜1982年2月)は八回だったが、刊行されたとき(岩波書店 1983年1月)には十二の章に分けられた。もちろん、加筆補正はされているが、文脈的には一見、大きな差異はないようにも映る。しかし、「コトバ」の一語は例外だった。連載時に、特別な意味を含み、書かれた「言葉」の文字は、刊行にあたって、すべて「コトバ」に改められた。「言葉」、あるいは「言語」と「コトバ」を井筒が明確に使い分けたのは、「意識と本質」連載中、第七回(「Ⅹ」章 1982年1月)のときである。「コトバ」の一語との遭遇は、作者にも予期せぬ経験だったに違いない。
 「意識と本質」を読むとは、言葉がコトバへ、そして根源的コトバ、すなわち「存在」へと変貌してゆく井筒俊彦における精神の劇を目撃することに他ならない。マラルメに触れ、彼は、「コトバ」は「『本質』を実在的に呼び出す」と書いた。言葉は「本質」を表現するに留まるが、「コトバ」は絶対無の海から事物を創造的に喚起するというのである。すなわち「コトバ」の秘儀とは「根源的に存在分節の動力」に他ならない。(382-383頁)

「意識と本質」が第十章まで来ると、「コトバ」の一語は、急速に究極的な相貌を帯びてくる。彼は空海とユダヤ神秘主義カバラーに触れ、「深層意識的言語哲学」を展開する。「神のコトバ ー より正確には、神であるコトバ」。井筒は、「神」と「コトバ」は不可分に実在していると言明する。言葉に始まり「コトバ」に収斂した井筒俊彦の思想を象徴するこの章こそ、「意識と本質」における哲学的ラムダ巻に他ならない。(384頁)


「井筒俊彦にとって『意識と本質』の執筆は、氏の「意識と本質」の実在体験と同時進行だった。今回、「言語アラヤ識」という井筒俊彦の発明に立ち会うことによって、井筒俊彦の創造、生成過程の一端を垣間見た気がする。」と、
「『言語アラヤ識』を索めて 2/2_井筒俊彦 読書覚書」
の掉尾に書き添えたが、それは自身だけの出来事ではなかった。一個人をはるかに超えて、彼方にまでこだました。そして、いまなお反響し、また波及しつつある。それは地殻変動による衝撃波にも比すべき一大事だった。椿事だった。