中井久夫「建物は人間と呼吸し合いながら生きています」


一昨年の九月に北の間から南の間に引っ越しました。寝起きをし、一日の多くの時間をこの二階の南の間で過ごしています。明るい日差しがさしこみ快適です。

いつの頃のことか、住人を失った北の間が、生気なく、陰鬱で、索漠としているのに気がつきました。そう思って辺りを見やると、机や椅子や本棚、本棚に並べた本、床や壁、天井、照明器具までもが、自らの殻に閉じこもって頑なに沈黙を守っているかのように感じられました。この殺伐とした風景をどう受けとめればいいのかわからないままに、毎日北の間の窓の、カーテンの開け閉めをし、また南の間から北の間の沈痛な姿を見やっていました。人のいることといなくなること。人の気配。人の温もりがあることとなくなることの差異、そんなことを考えていました。

そして、昨日。
磯崎  都市も建築も、人が住まなくなった瞬間に、本当に寒々しいものになりますね。だれも使わずに放置していると、二、三年で廃屋になって、崩れ落ちてしまうし、人のいなくなった都市はすぐに廃墟になってしまう。それが、中に人がいると違うんですね。中に住んでいる人間と呼吸がつながっていて、生き延びているんじゃないかと思うんです。
中井  建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きていますよ。僕は、実感としてそう思ってる。書斎でも、一週間もいないと荒れてしまう。空気がザラザラして来るという感じがします。住宅公団でも、一週間に一回、空き家の風通しをやるために人を雇ってるそうですね。
磯崎  それは絶対に必要なことですね。
(後略)
中井久夫『「伝える」ことと「伝わる」こと 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫
「都市、明日の姿(対談者・磯崎新)」
「生きられる建築と都市」(121頁)

「建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きてい」る、ということには思いがいたりませんでした。北の間は呼吸停止の瀕死の状態にあります。応急の手当てとその後の適当な処置が必要なようです。

独立した一個の部屋という空間が、私の呼吸のリズムに呼応するようにして息づいているのか、私が空間の呼吸に合わせるようにして呼吸のリズムを刻んでいるのか。そんな風に考えたとき、私と息の合った居心地のいい空間があり、私とは息の合わない空間があることに納得がいきます。空間は個性的です。主の個性を反映します。住空間の大切さを思いました。住空間の不思議さを感じています。