「ある確信」


二階の南の間で寝起きをし、一日のほとんどの時間をその部屋で過ごしていましたが、二月の暮れから一階にある応接間で過ごすことが多くなりました。音楽を聞きながら、という単純な理由からです。

一階にいることと二階でいることの間にはおよそ隔たりがあります。おなじ椅子にかけているにしても、一階では自分の体重を床にあずけ、かわりに床から力をもらっているという確かさがありますが、二階では宙を舞っているような感じがします。一階の調度品は座りがよく落ち着いています。一階の空気は心なしか濃やかですが、二階の空気は希薄です。

「文学者といわれる人たちの書斎は二階にあった」(早稲田大学 清水茂先生)というお話を学生時代にうかがいました。「皆浮世離れしている」とのことでした。二階は世間から遠く、外の気配に注意が向かなくなります。景色を俯瞰し、人を窓越しに見下ろす格好になります。階段をはさんで心持ちが、情景がずいぶんとかわります。

前回のブログで、中井久夫さんの以下の発言を引用させていただきました。
「建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きていますよ。僕は、実感としてそう思ってる。書斎でも、一週間もいないと荒れてしまう。空気がザラザラして来るという感じがします。」
中井久夫『「伝える」ことと「伝わる」こと 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫
「都市、明日の姿(対談者・磯崎新)」
「生きられる建築と都市」(121頁)

応接間にいるときには絶えず音が鳴っています。私の鼓動とともに音が部屋の空気を震わせています。部屋は確かに音楽を聴いているはずです。私よりもはるかに純一に無心に音楽を受けとめているはずです。応接間は間違いなく変わるものと思っています。応接間の変遷が楽しみです。