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11月, 2015の投稿を表示しています

鍵本聰「数学な苦手な生徒は姿勢が悪い」

7人の特別講義プロジェクト『ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~』講談社 (49頁、60-62頁) 鍵本聰「数学力とは『真実を見抜く力』だ!」 数学は社会に出てこそ役に立つ 「数学な苦手な生徒は姿勢が悪い」 これは意外な話かもしれないけど、数学が苦手な生徒って、姿勢が悪いんですよ。  体を傾けたり、のけぞったりして授業を聞いて、テストに臨んでいる。  たとえば難しい問題を前にしたとき、「わかんねえよ」って体を傾けたり、のけぞったりするんですね。こんな姿勢では、数学にとって大切な「集中力」が生まれません。だから、なおさらわからなくなってしまうんです。  一方、できる生徒は難しい問題が出てなかなかわからなくても、とりあえず前傾姿勢で机に向かっているんです。それで問題を鉛筆でなぞりながら何度も読んだり、問題文を自分で書き直してみたりとか、前向きな努力を続けている。そうしているうちに、ふと「なるほど!」というきっかけが見えるようになるんです。  そして数学が苦手な生徒は、とにかく消しゴムを使う回数が多いですね。  せっかく書いたものを、平気で全部消してしまう。もしかすると、その中に答えやヒントがあるのかもしれないのに、なぜか全部消してしまうんです。  そんなの時間ももったいないし、消しゴムをごしごしやっていると、焦るだけなんですよ。消しゴムを使うのは必要最低限に抑えるようにしましょう。  それから「左手を使わない」という特徴もありますね。  生徒たちを見ていると、左手をお尻や太ももの下に入れて問題を解いてる生徒は、けっこう計算ミスが多い。このあたりはしっかりした統計データがあるわけじゃないけど、きっと両手を使うほうが脳が刺激されるんでしょうね。  だから、初めて授業をする生徒たちでも、それぞれの姿勢を見れば「おまえ、計算間違いが多いやろ?」って言い当てることができますよ。  だから僕の塾では、まず姿勢です。  姿勢を正しくすることから勉強は始まる。そして、実際それだけで成績が伸びていく。数学に関していえば、もう間違いなく伸びます。これはいますぐ、誰にでもできる成績アップ術ですよ。足を組むのもダメ。基本原則は「体を左右対称にすること」です。  みなさんもぜひ、明日から意識してみてください。

古賀伊織『高校入試 塾で教わる 理科の考え方・解き方(佐鳴予備校の合格講座)』 KADOKAWA/中経出版

テスト週間中、またテスト期間中に、 古賀伊織『高校入試 塾で教わる 理科の考え方・解き方(佐鳴予備校の合格講座)』 KADOKAWA/中経出版 の電気と天体の分野の問題を解きました。 「本書の内容は、公立高のトップレベルや国立・私立高の難関校入試での理科対策書です。」 と謳われているように万人向けの参考書・問題集(扱われている問題の多くは公立高入試で出題されたものですが)ではありません。佐鳴予備校ではどれくらいの内容をどのくらい教えているのかを知るのが主目的でした。天体分野での何問かは依然未解決のままですが、それは今後の課題として、参考になりました。解説を読んで理解するには、それなりの力と時間が必要です。自学自習をするために、解説を読んで理解する習慣をぜひ身につけてもらいたいと思っています。ひき続き問題を解き続けます。 追伸:紙幅の関係上、ということなんでしょう。言葉が尽くされておらず 、理解がおぼつかないと思われる解説が散見されます。一つのテーマにつき四頁という設定に無理があります。

辻由美『翻訳史のプロムナード』みすず書房

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「みずみずしく語る翻訳の『精神史』」 辻由美『翻訳史のプロムナード』みすず書房  翻訳家が、情熱家の別名であることを知った。ときには死罪を受けるほどの反逆児にもなることを知った。翻訳史とは文化と文化のはざまで苦戦する者たちのヴィヴィッドな精神史にほかならないことを、辻由美『翻訳史のプロムナード』で知った。  いい本だ。翻訳という見すごされがちな営みの実質を、翻訳史という知られざる歴史の局面を、じつに明晰でリーダブルな文章によって明かしてみせた。 山岡 洋一『翻訳とは何か―職業としての翻訳』日外アソシエーツ   では、その(翻訳の)職業倫理とは何か。本書に倣って強引に要約すれば、それは、「訳文に対する“結果責任”をまっとうすること」なのではあるまいか。実例を交えた翻訳の考察、歴史上の翻訳者たちの足跡紹介、翻訳技術論…。本書を貫く記述のすべてが、この基本の延長線上にあると思えるのだ。 (今野哲男) 門外漢の私が 、須賀敦子「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」というタイトルのブログを書いたこと を、今 恥ずかしく思っています 。翻訳とはただならぬ行為です。

TWEET「牛乳パッックカッター」

牛乳パックを展く際に、ハサミを使えば指が痛く不愉快で、カッターナイフでは危なっかしく、結局手で裂いていましたが、こちらも手が痛く面白くなく、インターネットで検索し、 貝印 カッター カートンオープナー なるものを試しに注文してみました。 さすがは刃物メーカーさんのカッターナイフだけあって、切れ味は抜群です。ダンボール箱の開梱を目的に作られていますので、牛乳パック用としてはオーバー・スペックですが、オーバー・スペックなだけに、作業は軽快です。開かれた牛乳パックは美しくさえあります。懸念の、ためにためた60いくつかの牛乳パックをひろげ、清々しました。 お薦めの優れものです。

「小雪の日に思う」

当地方では、今年は暖かく、「小雪」と言われてもピンときません。 『梁塵秘抄』より。 遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぬ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば  我が身さえこそ動(ゆる)がるれ 今日は勤労感謝の日ですね。 白洲正子さんは、 『 遊鬼―わが師わが友 』という本を書かれています。「遊ぶ」ことは一大事です。「一所懸命」ということです。「極道」ということです。「 遊戯三昧」ということです。 「遊ぶ鬼」と化したいものですね。 白洲正子『遊鬼―わが師わが友』新潮文庫

「追悼 長田弘さん」

長田弘さんが、2015/05/03 にお亡くなりになられたことを、当日のNHKのニュースで知りました。 訃報に接しご冥福をお祈りいたします。 大切な方たちが一人また一人と亡くなられていきます。 大切な方たちとのお別れが続きます。

長田弘「賀状」

長田弘『深呼吸の必要』晶文社 賀 状  古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中学校で、二人の少年が机をならべて、三年を一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバスケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の開けかたを知り、素脚の少女たちをまぶしく眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされた。  二人の少年は、それから二どと会ったことがない。やがて古い鉄橋の架かった川のある街を、きみは南へ、かれは北へと離れて、両手の指を折ってひらいてまた折っても足りない年々が去り、きみたちがたがいに手にしたのは、光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状だけだ。  元旦の手紙の束に、今年もきみは、笑顔のほかはもうおぼえていない北の友人からの一枚の端書を探す。いつもの乱暴な字で、いつもとおなじ短い言葉。元気か。賀春。

長田弘「おおきな木」

長田弘『深呼吸の必要』晶文社 おおきな木  おおきな木をみると、立ちどまりたくなる。芽ぶきのころのおおきな木の下が、きみは好きだ。目をあげると、日の光が淡い葉の一枚一枚にとびちってひろがって、やがて雫のようにしたたってくるようにおもえる。夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。影のなかにはいってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえるような気配にとらえられる。  おおきな木の冬もいい。頬は冷たいが、空気は澄んでいる。黙って、みあげる。黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。冷たい風がくるくると、こころのへりをまわって、駆けだしてゆく。おおきな木の下に、何があるだろう。何もないのだ。何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。

小倉遊亀,小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』 読売新聞社

滋賀県公立高校入試より 小倉遊亀,小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』 読売新聞社 次の文章は、滋賀県出身の日本画家・小倉遊亀(おぐらゆき)さんに対するインタビューをまとめたものの一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。 (聞き手)先生の作品は、人物でも静物でもみな動いていますね。あれはどういうわけでしょう。 (小 倉)自分でも、どうしてかわからないけど、絵の方でひとりでに動いて見えるんです。 (聞き手)よく情緒過多で、へきえきするような絵がありますが、先生のは逆で、モノをモノとして突き放しているのに、生きています。 (小 倉)人によく見せようとか、きれいに描こうとかいう気があるとベタつくんです。仏さんを描いて、仏さんらしく見せなくちゃならないとか思うと、そうなるんですわ。無心で描けばならないんです。 (聞き手)肝心のモノよりも、自分が先に出ちゃうわけですか。 (小 倉)そうです。出そうとすれば引っ込むし、引っ込めれば出る。厄介なものです。  いまここに、壺と、椿の「蜀江の錦(椿の品種の一つ)」とが置いてあって、それは大変調和がとれて、美しく私には感じられますね。いいなア、と思います。いいなア、と心底から思ったときには向こうも私も区別がつきません。向こうが我か、我が向こうか、わからない。自分が椿になり、椿が私になり、です。そのときは即刻、木炭をとってね、その椿を見えたとおりに描く。椿のとおりには描かないかもしれません。だけれども、自分がいいと感じたとおりに描くんです。そうしますとね、その絵はほかの人が見ても、同じように生き生きと見えるんですよ。 (聞き手)いいな、と感じる気持ちをいつも自分が持っていないといけませんね。 (小 倉)そうそう。あなたが、好き、と思ったらね、絵心がなくてもいい。気持ちが先です。そしてね、一切の先入観なしに見るんです。椿だって先入観を持って見たら本当の椿は見えません。目と心を澄ませてね、一切の先入観と雑念を払えば、椿の中に入り込めるんです。 (聞き手)なかなかむずかしそうですね。 (小 倉)むずかしくはありませんよ。いいと思ったら、そんなもん、どっかへ飛んでいってしまう。パッと見て、いいなと思えばそれでいいんです。 (聞き手)無理するからへんてこなことになるわけですね。

TWEET「テスト週間中です」

11/25(水)、26(木) に第四テスト(二学期末テスト)が行われます。その対策授業の準備に追われています。テスト週間中の三連休はつらいですね。テスト前の11日間に5日の休日があります。中学校の先生方はさぞお困りのことと拝察いたします 。圧倒的に授業時数が不足しています。これは今回のテストに 限ってのことではありません。常態化しています。なかには、塾に丸投げ状態、という先生方も何人かおみえになります。悲しい現実です。

『それぞれの秋』

喧騒の夏をやり過ごし、静謐の秋に染まる人たち。 ひとり物思いにふける人。 静かに活字を目で追う女学生。 本は文庫がいい。 文庫には書店のくすんだ色の カバーがよく似合う。 一夏の恋が終わり、もの思いにしずむ女性。 哀しみをたたえた人。 意識が内に向けられた世界。

「サーモス 創立111周年」

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サーモス株式会社は、 ステンレス 製 魔法瓶 等の家庭用品の製造・販売を行う企業。また、サーモス(THERMOS)は同社が製造・販売する魔法瓶のブランド名である。 2015年 現在、世界最大の販売量、生産量である。 サーモスというブランド名は、1904年にドイツのベルリンで設立されたテルモス有限会社(THERMOS GmbH)に由来する。同社は世界で初めて真空断熱魔法瓶を製品化したことで知られる。テルモスという名前は公募で決められたもので、ギリシャ語で「熱」を意味する"Therme"に由来する。1907年には、イギリス、アメリカ、カナダでも、テルモス有限会社から商標を譲り受け、同製品を販売する会社が設立された。英語圏ではこの製品はサーモスと呼ばれた。 今年 サーモスさんが創立111周年を迎えたことを、昨夕のニュースではじめて知りました。紆余曲折を経て今は日本に籍があることも、 山専用ステンレスボトルが 2013年10月に新しくなったこともはじめて知りました。 THERMOSのあゆみ THERMOS(サーモス)とはギリシャ語で熱を意味する言葉。1904年に世界で初めてガラス製魔法瓶を製品化し、そのブランド名をTHERMOSと名付けました。 それ以来100年以上の歴史を持ち今では世界120か国以上のご家庭で愛用されています。 さらには魔法瓶の高い真空断熱技術を応用した保温調理器「シャトルシェフ」などの製品を通して、お客様に「快適」と「安心」そして「エコロジー」をお届けしています。  山専ボトルの保温力、保冷力はみごとですね。 山専ボトルはまさに温度を運ぶ、「温度の運び屋」ですね。 随筆「温度を運ぶ」 FFX-500(容量 0, 5L) 保温効力 6時間 77度以上 24時間 50度以上 保冷効力(6時間) 10度以下 本体重量(約kg) 0.28 / 0.26(シリコンなし) サーモス 創立111周年の記念に, 「山専用ステンレスボトル 500ml ライムグリーン」を購入しました。また、 「水筒 真空断熱ケータイマグ 0.35L エスプレッソ」も合わせて買いました。ケータイマグは、自宅でもっぱら、淹れたてのコーヒーを注いで飲んでいます。「

TWEET「慶祝!二万件突破です」

閲覧数が2.0000 件をこえました。有り難く思っています。感謝しております。 今後ともよろしくお願いいたします。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その七

本田武史さん 「花は 花は 花は咲く」 荒川静香さん 「誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に」 現役を引退され、それぞれの道を歩かれていたんですね。 佐藤B作さん 「誰かを励ましてる」 真摯な姿から、一生懸命さが伝わってきてます。 生島ヒロシ 「報われず 泣いたりして」 生島ヒロシさんの見せるこの優しさはいったいなんなのでしょうか。声の色、つや、曲に合わせて少し上体をゆらしながら歌う姿、特に最後の「して」の部分には、生島ヒロシさんのとびっきりの愛を優しさを感じます。 西田敏行さん 「わたしは何を残しただろう」 「いつか恋する君のために」 顔をゆがめて今にも泣き出さんばかりの西田敏行さんには心を打たれます。情の厚い方だなとつくづく思います。 鈴木京香さん DVDには、鈴木京香さんの3カットの黙礼のシーンが収められています。深紅のガーベラの花を顔の近くに、また頬にあて、涙にうるんだ目、口元のかすかな動き、表情の移ろいのうちに鈴木京香さんの万感の思いがたたえられています。時がしめやかに流れています。 そして、それは、涙ぐむ新沼謙治さんの、懸命に涙をこらえるシーンへと続いています。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その六

由規さん 「誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる」 この、いかにも真面目そうで、いかにも誠実そうで、飾りっ気のない子は、いったいどういう子なんだろう。芸能界に席を置く子とはとても思えないし、とずっと気になっていました。ヤクルトスワローズの投手だったんですね。と、わかっても、マウンド上での勇姿は想像し難く…。ファンになってしまいました。応援します。応援しています。 遊佐未森さん 「いつか生まれる君に」 遊佐未森さんのこともはじめて知りました。声からも姿からも優しさが伝わってきます。すてきですね。 イケメン’ズさん 「変わりたい 自分もいた」 イケメン’ズのお二人は収録後に、菅野よう子さんの、 「(被災地へは)結構行かれているんですか?」 との問いかけに対して、 「めっちゃ行ってます」 と元気に答えていらっしゃいます。イケてます!!これからも被災地の皆さんの心の支えになっていただきたいなって思っています。 マギー審司さん 「花は 花は 花は咲く」 収録を終えてスタジオを後にする際の、マギー審司さんの配慮の行きとどいた挨拶は、立派です。こういった若者がいることを心強くも思い、また安心もします。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その五

はじめに中村雅俊さんが歌われ、そしてそれは、さとう宗幸さんへと歌い継がれ…。十年ぶり、二十年ぶりに、あるいはそれ以上の年月をおいて拝見した出演者の方たちが何人もいらっしゃいました。インターネットで検索してはじめて、名前と顔が結びついた方たちもいらっしゃいました。時の刻まれた顔をただ茫然として見つめていました。人の老い、ということを思いました。人の老いから人の死への道のりは遠いものではありませんでした。また、祈りということにも思いをいたしました。 中村雅俊さん 「真っ白な 雪道に 春風香る」 はじめてテレビで拝見したとき、私は中村雅俊さんの首元ばかりに目をやっていました。首元に感じられる老いを悲痛な思いで見つめていました。 新沼謙治さん 「花は 花は 花は咲く」 それは新沼謙治さんについても同じことでした。 首元にどうしようもなく老いを感じ 、人の老いということに思いをいたさざるをえませんでした。 千昌夫さん 「花は 花は 花は咲く」 梅沢富美男さん 「わたしは何を残しただろう」 千昌夫さんと梅沢富美男さんは、インターネットで検索してはじめて、名前と顔が結びつきました。梅沢富美男さんの今の顔と、「夢芝居」を歌う当時の姿とは容易には結びつきませんでした。 秋吉久美子さん 「傷ついて 傷つけて」 何度拝見しても、女子高生のような感じを受けます。年を重ねるたびに、秋吉久美子さんは若返っているのでしょうか。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その四

昨夕、『CD+DVD NHK「明日へ」東日本大震災復興支援ソング 花は咲く』が届きました。 音源をそのままに丁寧にMacに取り込み、PCオーディオで聴きました。MP4に圧縮された曲とは別物です。厚みが違います。この厚みの部分に歌い手の感情の表出があり、この情報の抜け落ちた曲は、どうしても浅薄に聴こえてしまいます。「音」を聴くのか、「音楽」を聴くのかということにもなりますが、ある程度の「音」で聴かないと「楽しみ」が半減してしまいます。 特典映像のDVD『「花は咲く」を録る、撮る。10日間の制作現場密着映像』を観て、「録る、撮る」の意味がわかりました。ずっと気になっていました。「録る」と「撮る」とは別々に収録されていたんですね。

「時雨どきの、夜の霧」

昨日から時雨もようの天気が続いています。 雨間の 今、霧がでています。 交差点に立って、街灯に照らし出された霧を眺めていました。車中 坂の上からの眺めは幻想的でした。 須賀敦子さんの 「遠い霧の匂い」を読んでからというもの、霧の行方が気になります。 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫

「納竿(のうかん)」

「納竿(のうかん)」 2015/11/09 立冬の日の昨日、「納竿」することに決め、今 釣り道具を片づけています。「納竿(のうかん)」とは、誰が言いはじめたのか、ドキリとさせられますよね。釣り道具をそのまま元の鞘に納めるわけにもいかず、拭いたり、バラしたり、オイルをスプレーしたり、グリスを塗布したりと、結構手間のかかる作業です。池干しという突然の惨事で幕を閉じ、来シーズンのアテもないままの納竿には、やり切れなさがつのりますが、釣り道具と戯れるのは、それはそれで楽しくもあり、釣り文学の書とともに、来たる冬を楽しみたいと思っています。

「立冬の日に思う」

今日は立冬です。玄冬 (玄:黒い) の到来です。二十四節気の十九番目にあたります。 当地での紅葉はこれからが見頃です。桜の紅葉がいいですね。春は山桜、秋は染井吉野と順番をつけています。 今 けやき並木が気になっています。車窓からの紅葉しか知りませんが、今秋こそは並木道を歩いてみようと考えています。

「能繁期」

「能繁期」という言葉があるそうです。能の公演の数が増えるこの季節のことをさす言葉だそうです。  学生時代、能楽論の講義で、竹本幹夫先生が話されていました。竹本先生は、表章先生のお名前をよく口にされていました。 「お能の秋」です。 「能繁期」です。  能楽堂に足を運ぶこともなく、能楽論だけに終始した学生時代をもったいなく思っています。大学というところは、学生には過ぎたところだと思っております。

シリーズ授業「心が痛むとき」

中二生の授業で、 「心が痛むときにはどうするの?」 と訊くと、一人の女の子から、 「カラオケに行って、歌いまくる」 とのお答えが返ってきました。 「カラオケで歌いまくると治るの?」 「治る!!」 とのことでした。 「そんなときには、僕のところにいらっしゃい」 とホワイトボードに書くと、 「それって、『新婚さんいらっしゃい!』みたい」 と、みごとに 話をはぐらかされました。が、救われました。胸をなでおろ しました。

山村修『増補 遅読のすすめ』_読了

つい今しがた、山村修さんの書かれた『増補 遅読のすすめ』を読み終えました。 山村修さんは掉尾で、漱石が『吾輩は猫である』の中で書いた、 Do you see the boy の、倉田卓次さんの読みを、 三橋敏雄さんの句、 かもめ来よ天金の書をひらくたび の、北村薫さんの、また須永朝彦さんの読みを紹介されています。 鑑賞ではなく読みです。それは、遅読の末の末の末の結果として たどり着いた、漱石の、三橋敏雄さんの、まさに抱いていた思いです。 倉田卓次さんや 北村薫さん、須永朝彦さんの執念です。作家への、作品への想いの賜物です。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 繰り返しになりますが、 本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくりと読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。 本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって「作文の作法」です。

TWEET「今日もまた小春日和です」

今日もまた小春日和です。 三日もこうして小春日和が続くと、これから迎える冬を思うことができなくなります。 NHKサービスセンター ネットショップに『CD+DVD NHK「明日へ」東日本大震災復興支援ソング 花は咲く』を注文しました。特典映像の『「花は咲く」を録る、撮る。制作現場密着映像』が観たかったからです。高音質の「花は咲く」を聴きたかったからです。高画質の「花は咲く」が観たかったからです。 今日の小春日和にもまた、「花は咲く」です。

TWEET「今日も小春日和です」

今日も小春日和です。気持ちよく晴れわたっています。高く澄んだ空が広がっています。 今日は如月小春さんのことを思い、 渡岸寺の観音さまのことを思っています。 如月小春「向源寺 十一面観音 湖北 」 その一

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その三

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」は、一つの歌を、鈴木京香さんを含め三十四人の有志の方々で歌い継いでいくという格好をとっています。そのために、各フレーズは、詞の中の一節というよりも、独立したものであって、そのフレーズを歌う一人ひとりの詞、一つ一つの歌であるように聞こえます。個々の歌は、歌い手本人の内から発せられた、東日本大震災によせる、極めてプライベートな声になっています。そして、それらの声は、一輪のガーベラの花によって結ばれ、「花は咲く」という全体をなしています。 歌は時に、東日本大震災によせる歌い手の思いであるとともに、「自分に向けられた内なる声」であるように聞こえることもあります。 叶えたい 夢もあった 変わりたい 自分もいた 傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして 西田敏行さんや野村克也さん、梅沢富美男さんの歌う「わたしは何を残しただろう」は、西田敏行さんや野村克也さん、また梅沢富美男さんの、東日本大震災への思いも含めた、ご自身の歩んでこられた人生への自問であって、しかも、「いざ立ち止まってふり返ってみたとき、自分は何も残さなかったような気がしてならない」という哀しい自答のように思えてなりません。 以来、私は、「花は咲く」を聴きながら、あるいは観ながら、老いについて、死について、祈りということについて、そして生について、人であることの哀しみについて思いをめぐらせています。  一昨日の昼時以降、私はこの哀しみに射すくめられ、からめ取られてしまっています。この哀しみは、東日本大震災で被災された方々が心の内に秘められている哀しみ、亡くなられた方々が今なお抱き続けられているであろう哀しみに通じるものであると思っています。  そして、この哀しみから解かれるためには、この哀しみのなかに深く沈潜するしかないような気がしています。 私は、今まで東日本大震災について真剣に考えてこなかったような気がしています。東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」プロジェクトに参加された有志の方々や関係者の方たちに、今 重い課題を突きつけられているように感じています。一輪のガーベラの花にたくされた思いをよく考えてみたいと思っています。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その二

はじめに中村雅俊さんが歌われ、そしてそれは、さとう宗幸さんへと歌い継がれ…。十年ぶり、二十年ぶりに、あるいはそれ以上の年月をおいて拝見した出演者の方たちが何人もいらっしゃいました。インターネットで検索してはじめて、名前と顔が結びついた方たちもいらっしゃいました。時の刻まれた顔をただ茫然として見つめていました。人の老い、ということを思いました。人の老いから人の死への道のりは遠いものではありませんでした。また、祈りということにも思いをいたしました。 自分の部屋にもどって、花は咲くプロジェクト「花は咲く」と Members from The Little Singers of Tokyo「花は咲く」を求めました。また、動画を探し、出演者を検索しました。そして、花の名を調べました。

TWEET「今日は小春日和でした」

今日は小春日和でした。雲ひとつない高く澄んだ青空が広がっていました。風もなく穏やかなポカポカ陽気でした。 小春さんのことを思い出しました。山田洋次監督の映画「キネマの天地」でのヒロイン 田中小春さんのことです。1986年に公開された映画です。 以下、ウィキペディアからの引用です。懐かしい名前がたくさん並んでいます。 舞台は松竹が撮影所を 大船 に移転する直前の 1934年 頃の 松竹蒲田撮影所 。 城戸四郎 所長以下、若き日の 斎藤寅次郎 、 島津保次郎 、 小津安二郎 、 清水宏 ら気鋭の監督たちが腕を競い、 田中絹代 がスターへの階段を上りかけた黄金期である。この時代の映画人たちをモデルにして書かれた脚本には 井上ひさし 、 山田太一 も参加した。また、 浅草 の映画館の売り子からスター女優になる主役の「田中小春」役を 藤谷美和子 が降板したため、映画と同様に新人の 有森也実 が抜擢されて話題になった。

東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その一

私にはテレビを見る習慣がありません。PCで見るということもしません。同じ敷地内で別棟に暮らす父のところに行った折に、父が見ているテレビ番組を目にすることはあります。時には、その番組に見入ることもあります。私はテレビをたまたま目にし、偶然に見ます。この偶然の、たまたまのテレビに予感めいたものを感じるときがあります。 昨日の昼時、父に頼まれたテレビ番組の予約をしようと、テレビの前に座りこんでリモコンを操作していると、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」の映像が流れてきました。すべての動作を中止して、見入り、聞き入ってしまいました。釘づけになり、動けなくなってしまいました。胸の前に掲げられた一輪のガーベラの花がとても印象的でした。フィギュアスケートの羽生結弦さんが、被災した仙台のアイスリンクで「花は咲く」に振りつけをつけている、そんないくつかの場面を何年か前に見たことがあり、「花は咲く」の存在を全く知らなかったわけではありません。 その後、「花は咲く」一色の文化の日を過ごしました。感慨さめやらず、今もなおそれは進行中です。

「ドイツ・グラモフォン 創立111周年」その一

「ドイツ・グラモフォン (Deutsche Grammophon Gesellschaft)は、 1898年 12月に ドイツ ・ ハノーファー で創設された、世界でもっとも長い歴史を持つ クラシック音楽 の レコードレーベル である。「イエロー・レーベル」と呼ばれている。 ドイツ国内では 文学 作品の 朗読 作品も制作・発売している (Deutsche Grammophon Literatur)。」 「111 Years of Deutsche Grammophon(黄)」が発売されて間もなくして、2010年11月に赤色と黄色のボックスセットを購入しました。 共同通信社から 2010/4/22 に、  『PCオーディオ fan2』 が出版される頃から、PCオーディオに興味をもちはじめ、PCオーディオの何たるかが 少しわかりかけてきた頃のことです。赤色のボックスセットを ¥ 17,400、黄色のボックスセットを ¥ 9,395で購入しました。CD 一枚あたり数百円という信じられない値段です。現在 Amazon では、およそ三倍の価格がつけられていますが、それでもお安いのでは、と思っています。 「111 Years of Deutsche Grammophon(赤)」 「DG栄光の111年に燦然と輝く名盤たち」 ドイツ・グラモフォンの創立111周年を記念した55枚組。録音史的にも、ジャンル的にも、これ以上ない 豪華なラインナップになっています。オリジナルのカップリングのままに51のベスト・セラー・アルバムを厳選。(うち4セットは2枚組が含まれ、計55 枚)。指揮者ではフルトヴェングラーからドゥダメルまで幅広い世代を代表するアーティストを網羅し、作曲家としてはモンテヴェルディからペルトまでを含む まさにクラシック録音のライブラリーとして類を見ない充実の内容です。それぞれのCDはオリジナル・デザインの紙ケースに収録されています。 「111 Years of Deutsche Grammophon(黄)」 「DG111年の歩みから精選した名演集、待望の第2弾!」 ドイツ・グラモフォンの創立111周年を記念した56枚組。第1弾の55枚組と合わせる と、ちょうど111枚になるという洒落た趣向になっています。第1

「銀座・伊東屋 創業111周年」

何年か前に、シピンのガラスペンをいただきました。グリーン/ゴールドのすてきなペンです。細かな細工の施されたペン先とは対照的に、軸はガラスの素材を生かし、シンプルにデザインされています。軸のその描く曲線は書く手にしっくりとなじみます。銀座・伊東屋さんで求められたとのことでした。 「アサヒヤ紙文具店 ガラスペン」 それに合わせて、パイロットのインキ、 iroshizuku-色彩雫を買いました。山葡萄、紫式部、躑躅、紅葉、冬柿の五色をそろえました。 「アサヒヤ紙文具店 インク」 「パイロットコーポレーションは、1918年に「株式会社 並木製作所」として創業した万年筆とインクの老舗ブランドです。 パイロットコーポレーションでは、現在でもインクを 「 インキ 」 と表記しています。 夏目漱石の文章の中にも、インクが 「 印気 」 として書かれた文章があり、時代を感じさせる呼び方であると思います。」 iroshizuku 【色彩雫】 日本の美しい情景から 日本には、美しい自然や景色が多く存在し またそれ等にはとても美しい名があります。 iroshizuku-色彩雫(いろしずく)シリーズは、 その美しい情景から創造された彩り豊かなインキです。 さらなる書く喜びと楽しみをあなたに。 久しぶりに机の引き出しから取り出して、矯めつ眇めつながめていると、e-hon さんから、 銀座・伊東屋/監修『銀座・伊東屋 文房具BETTER LIFE』マガジンハウス を紹介するメルマガが届きました。なんというタイミングかと、いぶかしく思いましたが、これもなにかのご縁と思い、早速注文することにしました。そして、今夕 手元に届きました。 帯には、 明治37年の創業から東京・銀座で111年、文房具を選び、見極めてきたスペシャリスト銀座・伊東屋のスーパーセレクション!ロングセラー、スタンダード、新作の逸品が、発想のスイッチをオンにしてくれます。 と、書かれています。 文房具には目のない、緑色の大 好きな彼女にお贈りしようと思って、住所をメールで問い合わせているのですが、いっこうに返事をいただけずに、 待ちぼうけです。

「狐狸庵先生の快刀が『文化と文明』を分かつ」

学生時代に、テレビで観たのだと思うのですが、以下、つたない記憶をたよりにしての私の作文です。 文明とは、「有用であって有益なもの。貨幣価値のあるなし、損得勘定によって計られるもの」。 文化とは、「一見すると何の益もないもの、何の用もなさないもの。それ自体は決してお金を生まないものを大切に思うこと」。 文化と文明についての解釈で、これほど明解な回答を私は知りません。 今日は「文化の日」です。私たち一人ひとりが試されている日なのかもしれません。 追伸:江ノ島の海岸(だったように記憶していますが)を、遠藤周作さんが奥様と歩かれているときに、「砂浜を歩くのは、舗装された道路を歩くのとは違って何倍も苦労するが、砂上には足跡が刻まれていく」と、奥様に話されていたのも記憶しています。 追記:人生は楽しくもあり、苦しくもあり、「たのくるしい」ともいわれていました。

佐藤春夫「さんま、さんま」

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車を運転しながら、「サンマ、サンマ」とサンマのことなぞ思っていると、 さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。 と、自作の詩「秋刀魚の歌」を朗読する佐藤春夫さんの特徴のある語り口を思い出しました。 2006年の春に、「紀ノ国と巡礼の旅」に、K大のP教授とごいっしょした折に、佐藤春夫記念館を訪ねました。館内には、自作の詩を朗読する佐藤春夫さんの声が流れていました。熊野速玉大社を参詣した帰りに、いきなり現れた洒脱な建物に惹かれ、是非もなくお邪魔したという格好での訪問でした。白塗りの壁と木の色調のコントラストの綺麗な建物でした。「2畳のごく小さな書斎」が設けられていました。京都・嵯峨野の向井去来の住まい「落柿舎」にも一坪ほどの小さな書斎がしつらえられていたように記憶しています。二畳の間に文机をおいて、気になる空間です。 新宮市立佐藤春夫記念館 八角塔の書斎  外から見ると塔のようにそびえるこの部屋は、八角形をしていることから「八角塔」と呼ばれています。ここは2畳のごく小さな書斎で、春夫自身は“慵斎”(ようさい)と称していたようです。  春夫は、狭い書斎を好み、「参考の本などすぐとれるし、片付けるのにも早いし、冬は暖かい」と自賛していたそうです。また、「芥川の書斎も狭い、傑作は狭い所から生まれるものだ」とも言ったと伝えられています。 一牀書屋  晩年、春夫は陶芸家・河井寛次郎に“一牀書屋”(いちじょうしょおく=ごく小さな書斎を表す)の題字の揮毫を頼みました。書は、春夫の没後に届けられ、春夫は目にすることができませんでした。 「塾・ひのくるま」のHP に早速書き加えようと思っています。「K大のP教授の「暗黙のご指導とご鞭撻の旅」のつれづれ」では、まだ何か大切な忘れ物をしているような気がしてなりません。佐藤春夫記念館においても、K大のP教授の博識の一端に触れたことはもちろんのことです。

山村修『増補 遅読のすすめ』_鑑賞の指南書

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。 この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略) 前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。 本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくり読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。 本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって、「作文の作法」です。 引き続きまして、遅読を実践します。

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫

勝間和代さんが時の人となる少し前、彼女のその読書量に驚き、速読術について真剣に考えた時期がありました。しかし、時を待たずして、斎藤孝さんが、「頭で読む本」、「心で読む本」と書かれているのを読んで、「頭で読む本」を読む習慣のない私は、いつもの自分のペースの読書にとどまりました。そして、今回は、山村修さんの「遅読」です。霜月に入って最初の一冊です。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 (「狐」は、山本修さんのペンネームです。)