小倉遊亀,小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』 読売新聞社


滋賀県公立高校入試より

次の文章は、滋賀県出身の日本画家・小倉遊亀(おぐらゆき)さんに対するインタビューをまとめたものの一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。

(聞き手)先生の作品は、人物でも静物でもみな動いていますね。あれはどういうわけでしょう。
(小 倉)自分でも、どうしてかわからないけど、絵の方でひとりでに動いて見えるんです。
(聞き手)よく情緒過多で、へきえきするような絵がありますが、先生のは逆で、モノをモノとして突き放しているのに、生きています。
(小 倉)人によく見せようとか、きれいに描こうとかいう気があるとベタつくんです。仏さんを描いて、仏さんらしく見せなくちゃならないとか思うと、そうなるんですわ。無心で描けばならないんです。
(聞き手)肝心のモノよりも、自分が先に出ちゃうわけですか。
(小 倉)そうです。出そうとすれば引っ込むし、引っ込めれば出る。厄介なものです。
 いまここに、壺と、椿の「蜀江の錦(椿の品種の一つ)」とが置いてあって、それは大変調和がとれて、美しく私には感じられますね。いいなア、と思います。いいなア、と心底から思ったときには向こうも私も区別がつきません。向こうが我か、我が向こうか、わからない。自分が椿になり、椿が私になり、です。そのときは即刻、木炭をとってね、その椿を見えたとおりに描く。椿のとおりには描かないかもしれません。だけれども、自分がいいと感じたとおりに描くんです。そうしますとね、その絵はほかの人が見ても、同じように生き生きと見えるんですよ。
(聞き手)いいな、と感じる気持ちをいつも自分が持っていないといけませんね。
(小 倉)そうそう。あなたが、好き、と思ったらね、絵心がなくてもいい。気持ちが先です。そしてね、一切の先入観なしに見るんです。椿だって先入観を持って見たら本当の椿は見えません。目と心を澄ませてね、一切の先入観と雑念を払えば、椿の中に入り込めるんです。
(聞き手)なかなかむずかしそうですね。
(小 倉)むずかしくはありませんよ。いいと思ったら、そんなもん、どっかへ飛んでいってしまう。パッと見て、いいなと思えばそれでいいんです。
(聞き手)無理するからへんてこなことになるわけですね。
(小 倉)そうです。無理せんかていいんです。(笑い)。小学生などは雑念がないですからね。好きだと思って描くと、好きな気持ちが濃厚ですからね、シャーッと一気に描いちゃいます。上手に描こうとか、そんなことを考えないで、自分の思ったとおりに描く。ですから、そういう絵は人の心を打ちます。
(聞き手)なるほど、そうですね。