東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」その三
東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」は、一つの歌を、鈴木京香さんを含め三十四人の有志の方々で歌い継いでいくという格好をとっています。そのために、各フレーズは、詞の中の一節というよりも、独立したものであって、そのフレーズを歌う一人ひとりの詞、一つ一つの歌であるように聞こえます。個々の歌は、歌い手本人の内から発せられた、東日本大震災によせる、極めてプライベートな声になっています。そして、それらの声は、一輪のガーベラの花によって結ばれ、「花は咲く」という全体をなしています。
歌は時に、東日本大震災によせる歌い手の思いであるとともに、「自分に向けられた内なる声」であるように聞こえることもあります。
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
西田敏行さんや野村克也さん、梅沢富美男さんの歌う「わたしは何を残しただろう」は、西田敏行さんや野村克也さん、また梅沢富美男さんの、東日本大震災への思いも含めた、ご自身の歩んでこられた人生への自問であって、しかも、「いざ立ち止まってふり返ってみたとき、自分は何も残さなかったような気がしてならない」という哀しい自答のように思えてなりません。
以来、私は、「花は咲く」を聴きながら、あるいは観ながら、老いについて、死について、祈りということについて、そして生について、人であることの哀しみについて思いをめぐらせています。
一昨日の昼時以降、私はこの哀しみに射すくめられ、からめ取られてしまっています。この哀しみは、東日本大震災で被災された方々が心の内に秘められている哀しみ、亡くなられた方々が今なお抱き続けられているであろう哀しみに通じるものであると思っています。
そして、この哀しみから解かれるためには、この哀しみのなかに深く沈潜するしかないような気がしています。
私は、今まで東日本大震災について真剣に考えてこなかったような気がしています。東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」プロジェクトに参加された有志の方々や関係者の方たちに、今 重い課題を突きつけられているように感じています。一輪のガーベラの花にたくされた思いをよく考えてみたいと思っています。