「ポン酢の味がした」
と、「三輪の神糸」の味わいが、ある日突然わかった。そして、それはいまも変わらない。
この数日間「湯豆腐」ばかり食している。食材は「北海道 御札部浜 だし用 真昆布」と
「絹ごし さとの雪」、そして ひとつまみの「塩」だけである。
昔ながらの手作りの豆腐と出会うために、どれだけのまがいものの豆腐を食べさせられたことだろう。かといって「さとの雪」に不満がないわけではない。
豆腐に真昆布のうま味成分がからみ合って美味である。たれは要らない。
昆布を羅臼、利尻、日高にかえてみようと思っている。
簡素な料理だけに、素材選びが決手となる。
何度食べても、「てっさ(ふぐ差し)」の味がわからない。これは私の沽券に関わることである。はたして「三輪の神糸」のように、飽くことなく食べ続ければ、淡白な味がわかるようになるのだろうか。が、高級魚のため逡巡している。
「(三島由紀夫『潮騒』の舞台となった)「神島」に「てっさ」を食べに行ってきたが、「神島」の「てっさ」はポン酢の味がした」
と言った初老の紳士を知っている。その話を聞いた際には大いに笑ったが、いまは 同類相憐れみ、それどころではなく深刻である。
辰濃和男『文章の書き方』岩波新書
2016/01/26
こんな文章があります。
「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。
土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。
煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。
大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。
そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。
大根を噛(か)んだ瞬間に、
『む…』
いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」
なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。(4-5頁)
私の今回の「三輪の神糸」,「湯豆腐」は、この文章が頭の片隅にあってのことだったが、食通の「三井老人」とは年季が違う。
次回は、縁起物の「お雑煮」である。賞味期限がとうに切れた「南魚沼産 こがねもち」がある。
「煮雑ぜ(にまぜ)」はごめん被りたい。