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「Kindle Direct Publishing_広告_2021/07/31」

 以下、今月のダウンロード数です。これを機に、鳴りを潜めることにしました。 2021/07/02 に、 ◇「本多勇夫 / 重ねて 折々の記_11」: 〜井筒俊彦編〜 が、「Kindle unlimited(定額制の読み放題)」の方によってダウンロードされ、 2021/07/04,24,26 には、 ◇「本多勇夫 / なおなお 折々の記_10」: 〜岡潔編〜 が、「Kindle unlimited」の方たちによってダウンロードされました。 2021/07/08 には、 ◇「本多勇夫 / 又 折々の記_04」: 〜中井久夫編〜 が、「Kindle unlimited」の方によってダウンロードされ、 2021/07/31 には、 ◇「本多勇夫 / も一つ 折々の記_08」: 〜白川静編〜 が、「Kindle unlimited」の方によってダウンロードされました。  これで少なく見積もって、20冊の電子書籍がダウンロードされたことになりました。 いま、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫 を読んでいます。78頁まで読み進みました。 傍線の引き過ぎで  “ペンだこ ”ができ、 “座りだこ ”もできつつあり、名誉の負傷と一人悦にいっています。

「小林秀雄『本居宣長 (上)』_はじめから 2/2」

 今日の午前中には、 『源氏物語』についての叙述(216頁)以降を読み終えた。  立ち止まり、行きつ戻りつ、なお理解の及ばない項は後日に期する、こんな読書体験だった。 「之を好み信じ楽しむ」とは宣長の学問に対する生涯変わらぬ態度であったが、非情なパンデミックの、過酷な夏空の、オリンピック最中(さなか)の、「好信楽」の読書だった。 これほど付箋を入れ、傍線を引いたのは、 ◇  井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 以来のことである。 三読目は、気分を一新し、真新しい、 ◇ 小林秀雄『本居宣長』新潮文庫 で臨む予定である。  初読とはなんだったのか。やはり、「 はじめから」という「再読」の緒に就くための読書だったような気がしてならない。 「其処に、宣長が注目したのは、国語伝統の流れであった。才学の程が、勅撰漢詩集で知られるという事になっては、和歌は、公認の教養資格の埒外(らちがい)に出ざるを得ない。極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した。しかし、意識的な文化の企画には、言わば文化地図の塗り替えは出来ても、文化の内面深く侵入し、これをどうこうする力はない。生きて行く文化自身の深部には、外部から強いられる、不都合な環境にも、敏感に反応して、これを処する道を開いて行く自発性が備っている。そういう、知的な意識には映じにくい、人々のおのずからな知慧が、人々の共有する国語伝統の強い底流を形成している。宣長はそう見ていた。」(321-322頁) 「言語伝統は、 其処に、音を立てて流れているのだが、これを身体で感じ取っていながら、意識の上に、はっきり描き出す事が出来ずにいる。言語は言霊という自らの衝動を持ち、環境に出会い、自発的にこれに処している。事物に当って、己れを験し、事物に鍛えられて、己れの姿を形成しているものだ。」( 322頁) 「言霊」という言葉は万葉歌人によって、初めて使い出されたものだが、「言霊のさきはふ 国」とか、「言霊のたすくる国」とかいう風に使われているので明らかなように、母国の 言葉という意識、これに寄せる歌人の鋭敏な愛着、深い信頼の情から、先ずほころび出た言葉である事に、間違いない。」 ( 322頁) 「言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の

「小林秀雄『本居宣長 (上)』_はじめから」

今日の夕刻過ぎには、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫 の、『源氏物語』についての叙述(216頁)まで読み継ぎ、「熱中症」により敢えなく敗退、小休止することにした。初読時に全体を俯瞰しているので、随分明らかになった。 「宣長が、思い切ってやってのけた事は、作者(紫式部)の「心中」に飛込み、作者の「心ばへ」を一たん内から摑んだら離さぬという、まことに端的な事だった。宣長は、「源氏」を精しく読もうとする自分の努力を、「源氏 」を作り出そうとする作者の努力に重ね合わせて、作者と同じ向きに歩いた。」(184頁)  また、小林秀雄の本居宣長に対する態度は、宣長の肉声に無心に耳を傾けることであった。そして それはそのまま、小林秀雄が、読者である私たちに付託した姿勢でもある。 「彼(本居宣長)の課題は、「物のあはれとは何か」ではなく、「物のあはれを知るとは何か」であった。「此物語は、紫式部がしる所の物のあはれよりいできて、(中略)よむ人に物の哀をしらしむるより外の儀なく、よむ人も、物のあはれをしるより外の意なかるべし」(紫文要領、巻下) (153頁 ) 「生きた情(ココロ)の働きに、不具も欠陥もある筈がない。それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、損なわず保持して行く事が難しいというところにある。難しいが、出来ることだ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである。彼が、式部という妙手に見たのは、「物のあはれ」という王朝趣味の描写ではなく、「物のあはれを知る道」を語った思想家であった」(154頁) 「彼(本居宣長)の言う「あはれ」とは広義の感情だが、なるほど、先ず現実の事や物に触れなければ感情は動かない、とは言えるが、説明や記述を受附けぬ機微のもの、根源的なものを孕んで生きているからこそ、不安定で曖昧なこの現実の感情経験は、作家の表現力を通さなければ、決して安定しない。その意味を問う事の出来るような明瞭な姿とはならない。宣長が、事物に触れて動く「あはれ」と、「事の心を知り、物の心を知る」事、即ち「物のあはれを知る」事とを区別したのも、「あはれ」の不完全な感情経験が、詞花言葉の世界で完成するという考えに基く。これに基いて、彼は光源氏を、「

TWEET「小林秀雄『本居宣長 (下)』_『再読』の緖に就くための読書だった」

今日の昼過ぎに、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫 を読み終えた。今回、「本居宣長補記」(307-368頁)は割愛した。  読み継いでいくにつれ、不安・焦燥感は薄らぎ 、いつしか健康体になった。とはいえ、心もとない読書にかわりはなかった。小林秀雄の文章には、心を許せばたちまち陥穽に陥る、といった体の厳しさがある。  小林秀雄が、11年半を費やして執筆したことを思えば、初読では、如何ばかりのことも解らないのは当然であり、いま思えば、今回は、「はじめから」という「再読」の緒に就くための読書だったような気がしている。 「彼(本居宣長)にとって、本文の註釈とは、本文をよく知る為の準備としての、分析的知識ではなかった。そのようなものでは決してなかった。先ず本文がそっくり信じられていないところに、どんな註釈も不可能な筈であるという、略言すれば、本文のないところに註釈はないという、極めて単純な、普通の註釈家の眼にはとまらぬ程単純な、事実が持つ奥行とでも呼ぶべきものに、ただそういうものだけに、彼の関心は集中されていた。神代の伝説に見えたるがまま を信ずる、その信ずる心が己れを反省する、それがそのまま註釈の形を取る、するとこの註釈が、信ずる心を新たにし、それが、又新しい註釈を生む。彼は、そういう一種無心な反復を、集中された関心のうちにあって行う他、何も願いはしなかった。この、欠けているものは何一つない、充実した実戦のうちに、研究が、おのずから熟するのを待った。そのような、言わば、息を殺して、神の物語に聞入れば足りるとした、宣長の態度からすれば、真淵の仕事には、まるで逆な眼の使い方、様々ないらざる気遣いがあった、とも言えるだろう。」(197-198 頁)  上記は、本書で幾度となく繰り返される、本居宣長の学問に対する、一貫して変わらぬ態度であった。「無心」とは「無私な心」と言い換えることができよう。  ようやく緒に就いたばかりの読書である。梅雨明け後の夏空の下に身をさらすのは危険である。「ステイホーム」を隠れ蓑にして引きこもり、「はじめから」という読書を、早速はじめることにする。  外出時には、祖母の遺品の日傘を愛用している。 「女もすなる日傘といふものを、男もしてみむとてするなり」  常に日影のなかにある。人知らず日陰を歩くことの心地よさを味わっている。

TWEET「小林秀雄『本居宣長 (上)』_虚弱体質に転落した」

今日の夕方、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫 を読み終えた。 「通読を旨とする。再読していくらかでも理解が進めば幸いである」と、勇んで書いてみたものの、心もとない読書に、不安・焦燥感に苛まれすっかり虚弱体質に転落した。 ◇  『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』 [新潮CD] は、学生時代から幾度となく繰り返し聞いている。 「話し言葉の力」を駆使、 近代日本最高の知性が 心を満たす、うるおす。 深遠な思索と少年のような熱さ。 そして古今亭志ん生のような軽妙な語り口。 声を聞かなければ分からない、 文字では出会えない小林秀雄がここにいる。  つい最近まで、小林秀雄の文章は難解で読めなかった。解らないものと決め込んで敬遠していた。しかし、常に気になる存在だった。年回りのせいだと思っているが、いまでは、 「小林秀雄の文章のおもしろさは、内容の如何はいうにおよばず、言葉の配列の妙味にある。文章を読みつつ、次におかれた言葉を予測することはほとんど不可能である。破格な言葉づかいもあれば、難解な言葉が配されることもある。また、その一語から景色が一変することもある。  自在であり適材適所であって、小林秀雄の切実さのあらわれである。言語での果敢な挑戦であって、他の芸術に比肩するものである。」 (2017/11/27) と思うまでにいたった。 「文章を読まなければ分からない 講演では出会えない小林秀雄がここにいる」 虚弱体質のままに、 ◇  小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫 を読み継ぐことにする。  その後、再読する予定である。

「マーティン・ツェラーの奏でるバロックチェロ」

以下、再掲です。 J.S.Bach:6 Suites a Violoncello Solo senza Basso Vol.one / Suites 1,2,3 Martin Zeller:Violoncello M.A Recordings については、2010/04/22 に出版された、 ◇『PCオーディオ fan No.2』共同通信社  で知りました。PCオーディオに興味をもちはじめ、PCオーディオの何たるかが少しわかりかけてきたころのことです。このムックには、 「ハイレゾルーションサウンドの魅力 タッド・ガーフィンクル録音選 M.A Recordings HiRez Sampler」 とのタイトルのDVDが付録としてついていました。  マーティン・ツェラーがバロックチェロで奏でる、 「J.S.Bach:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 (BWV 1007)より プレリュード、アルマンド、クーラント」 を聴き、その音色に魅せられ、早速注文しました。チェロに比し、滋味ともに豊かで、ふくよかです。 仲秋のいま、私の内では、第一に、 ブルーノ・ワルター ベートーヴェン 交響曲第6番『田園』 コロンビア交響楽団 第二に、 マーティン・ツェラー 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」 M.A Recordings の順位がついている。 以下、CDの帯からの引用です。 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」88.2kHz ワンポイント録音 マーティン・ツェラー(バロック・チェロ)使用楽器・ヤコブ・シュタイナー 1673年製  スイスのチェリスト、マーティン・ツェラーによる名器シュタイナー唯一の楽器で、世界で初めて録音された J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲。絹を撫でるような、魅力的な音色で奏でられ、かつてない感動に包まれる演奏です。 使用楽器はドイツ・チロルの名器、ヤコブ・シュタイナーの1673年製。現在、使用できる形で保存されている唯一の楽器です。ヤコブ・シュタイナー(1621~1683)は、クレモナの製作者たちが有名になる以前、音楽家たちに最も注目されていた製作家。膨らみが大きく、甘く、柔らかい音色が特徴的です。 また、解説には、  二十世紀初頭以来、6つの無伴奏チェロ組曲があらゆるチェロ奏者にとって必須のレパートリーとなっているのは、パブロ

TWEET「東京藝大 天才たちのカオスな日常_2/2」

今日の明け方、 ◇ 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』新潮文庫 を読み終えました。 「末端は本当に美しくなければならない」 「今の楽器は音程がとりやすかったり、指を動かしやすかったり、大きな音が出たり…進化して、合理化されているんです。バロック楽器はその点、構造が単純で、楽器が助けてくれません。自分の息で、頑張って調整しなければならないことが多いです。でもその分、出せる音色の柔らかさが全然違うんです」 「今のヴァイオリンって、弦はつるつるのスチールなんです。でも古楽器のヴァイオリンは、ガット弦。羊の腸なんですよ。これを弾くとですね、グワッと、凄く野性味のある音が出るんです。バロック楽器は今の楽器よりも生身の人間に近いんです。生きてるもの、自然に近いんです」 「古楽って地味だとか、単純だとか思われてる部分もあると思うんですけど…そんなことないんですよ。凄く激しい、情感のこもった音楽です」 「バロック音楽では、曲の感情を出すことが重視されるんです。イタリア語でアフェット、と言うんですけれど。作曲家の感情でも、演奏者の感情でもなくて、曲の感情。でも、曲の感情を出すためには私たちも感情を知っていなくてはならなくて。曲の感情に共感して、それを出してあげる。それを聴衆にも共感させていく」 二 宮  古楽の奏者たちは、アドリブによって和音を作り、メロディを作り、メロディを装飾して、その場限りの演奏を作っていく。感情を引き出していく。 「演奏する時は、生きたものを出さなきゃって思ってます。今はもう失われた音楽を、その音楽が最も輝ける形で、生きた状態として生み出したいんです」 「それ(古楽がもつ神秘性の表現)ができた時、凄い感動があるんです! 全てが混ざりあうんです。作曲家と演奏家が混ざりあって、聴衆と演奏家も混ざりあって。何だか、宇宙の調和みたいな?」 二 宮  数学や科学が宇宙の深淵(しんえん)に迫れるなら、音楽にだってそれができるのだ。 「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど、その末端は本当に美しくなければならない』って、先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は、音楽の一部になりたいんです」 二 宮  尾上(愛実)さんは透き通って潤(うる)んだ瞳(ひとみ)をこちらに向けて、そう言った。(269-271頁)  オルガン専攻の本田(ひまわり)さんは

TWEET「東京藝大 天才たちのカオスな日常_1/2」

おかしな本を見つけました。早速注文し、明日到着の予定です。 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』新潮文庫   「やはり彼らは、只者ではなかった。入試倍率は東大のなんと約3倍。しかし卒業後は行方不明者多発との噂も流れる東京藝術大学。楽器のせいで体が歪んで一人前という器楽科のある音楽学部、四十時間ぶっ続けで絵を描いて幸せという日本画科のある美術学部。各学部学科生たちへのインタビューから見えてくるのはカオスか、桃源郷か? 天才たちの日常に迫る、前人未到、抱腹絶倒の藝大探訪記。」 「新潮文庫の100冊 2021」内の一冊です。今年の夏休みの読書感想文はこれで決まりです。「古典に親しむ」月間からの転落か、さては 「古典に親しむ」月間が逸脱か。「行方不明者多発」とはなんとも頼もしく、 「陸沈」 、潜行、非社会的行為は、とても人ごととは思えず、「同病相目見(まみ)ゆ」ことを楽しみにしている。

TWEET「焼け木杭に火がつき」

「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  白川先生の三作を選ぶとしたらね、絶対『孔子伝』は入れんならん。それに、字引ですね、字書三部作。それからもう一つは古代中国の専門的な研究だなあ、或いは『詩経』だな。(132頁)  梅原猛が、絶対『孔子伝』は入れんならん、と言っている以上は、『孔子伝』は絶対読まんならん。 浮気心が芽生え、古典を尻目に、次回は、 ◇ 白石静『孔子伝』中公文庫 か、はたまた、懸案の、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下) 』新潮文庫 か、と思っている。  通読を旨とする。再読していくらかでも理解が進めば幸いである。

「中西進『古代史で楽しむ 万葉集』_はじめから」

昨夜、 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を読み終えた。 「たゆとう命」  本書は文庫本にして、わずか 250頁に満たない紙数の作品であるが、幾多の人物が登場し、また夥(おびただ)しい死が描かれている。  万葉の時代は、奸智・奸計が跳梁した権力闘争の世、乱世の時 であった。その最中(さなか)にあって、当書は 「古代史」と歌を巧みに配した、学徒中西進 渾身の一冊となっている。『万葉集』入門とは、あまりに失礼な物言いであった。 「権謀術数にとりまかれた天平の人々にとって、恋にしか真実の世界がなかったことが、このように恋を切なくしたのだろう。そして彼らはその切なさへの共感の中に己を忘れさせることができた。」(214頁) 「万葉集の特性として、作者のわからない歌をほぼ半数(二千余首)かかえている」 「ほとんどみんなが歌を詠む時代であった。」「彼らの歌が個性的でないということは、より深く人間基本の真実を歌っていることを意味する。民衆の真実を基底とすることで、万葉集は広く国民歌集たり得たし、そのためにいかなる読者にも、その感動を伝えることができるのである。」(230-231頁) 「大和の民衆たちは、生活感情を正しい自然との対応の中で歌うことにおいて、自然とひとしく美しかったのである。」(234頁) 「無名歌の世界」が気がかりである。

「白川静『初期万葉論』_はじめから」

◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 の付箋のはさんである項だけ読み直しました。 いま、 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を再読しています。96頁まで読みました。「はじめから」は、初読時と比較するとはるかに明らかです。    白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 (中略)  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である」。 (中略) 「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる。(15-17頁) (註)「呪」の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。「呪能」と同義で「呪鎮」と書くこともある。 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 「古代においては、『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ『見る』『見ゆ』というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を『見ゆ』と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい。」(154頁) 「『見れど飽かぬ』は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永続性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。」(153頁) 「見る」ことは、見られることである。見交わすこと、見え交わすことによって、人と対象との通路が開ける。「見る」ことは振り向かれるように「見る」ことだった、と思う。  甲骨文や金文に親しんだ白川静にとって、「見る」「見れど飽かぬ」ことの意味を解することは、さして難しいことではなかったはずである。  白川は、「見る」「見れど飽かぬ」についての、何首かの語釈の誤りを指摘した上で、 「初期の万葉歌に叙景の名歌を認め、『人麻呂歌集』的な相聞歌を人麻呂の呪的儀礼歌に先行させるよう

「白洲正子『西行』_はじめから」

今日の昼過ぎ、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読み終えた。   東(あづま)の方(かた)へ修行(すぎやう)し侍りけるに、富士の山をよめる  風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて  ゆくえも知らぬわが思ひかな (中略) 西行は「富士」の歌を自讃(じさん)歌の第一にあげていたと、慈円の『拾玉集(しゆうぎよくしゆう)』は伝えている。この明澄(めいちよう)でなだらかな調べこそ、西行が一生をかけて到達せんとした境地であり、ここにおいて自然と人生は完全な調和を形づくる。 (中略) 西行が恋に悩み、桜に我を忘れ、己が心を持てあましたのも、今となっては無駄(むだ)なことではなかった。数寄の世界に没入した人は、数寄によって救われることを得たといえるであろう。「これぞわが第一の自讃歌」といったそのほんとうの意味合いは、これぞわが辞世の歌と自分でも思い、人にもそう信じて貰(もら)いたかったのではあるまいか。(268-269頁) 迷うのは誰でもやることだが、ふつうはいいかげんなところで妥協して終るのに、徹底的に迷いぬいたところに西行の特色があるといえよう。 (270頁) 「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて  年たけて又越ゆべしと思いきや  命なりけりさやの中山  」(265頁)  小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。(270-271頁) 白洲正子『西行』は、  そらになる心は春の霞にて  世にあらじともおもひ立つかな の歌からはじまる。 「うわの空なって落着きのない心は、春の霞さながらである」(岩波古典文学体系)(22頁)  白洲正子の成果は、西行の「空になる心」から、「虚空の如くなる心」に至るまでの心の内の変遷を、常に歌に寄り添う格好で明らめたことにある。  西行は、大峯修行をし、熊野三山を詣で、 空海を遠く仰ぎ、 高野山に草庵を結び、

「Kindle Direct Publishing_広告_2021/07/03」

 女々しくも、「Kindle Direct Publishing」に載せた電子書籍のダウンロード数を、月ごとに記載することにしました。  私の覚書です。以下、貧果です。 2021/06/03 に、 ◇「本多勇夫 / まだ 折々の記_06」: 〜大野晋編〜  が、 「Kindle unlimited(定額制の読み放題)」の方によってダウンロードされ、 2021/06/15,18,28 には、 ◇「本多勇夫 / なおなお 折々の記_10」: 〜岡潔編〜 が、「Kindle unlimited」の方たちによってダウンロードされました。 また、2021/06/23 には、 ◇「本多勇夫 / 重ね重ね 折々の記_12」: 〜小林秀雄編〜 がダウンロードされました。快挙です。 そして、2021/07/02 には、 ◇「本多勇夫 / 重ねて 折々の記_11」: 〜井筒俊彦編〜 が「Kindle unlimited」の方によってダウンロードされました。  これで少なく見積もって、15冊の電子書籍がダウンロードされたことになりましたが、相当数が悪用目的かと思っています。 いま、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んでいます。初読に比べ、再読・三読には時間を要しません。こ慣れた、ということでしょうか。決しておろそかな読み方はしていないのですが…。変則的な読書習慣が身につきました。「変則的」とは喜ばしきことかなと、思っております。

「井上靖『本覚坊遺文』_はじめから」

つい今し方、 ◇ 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫 を読み終えた。 私にとって大切な作品である。 「茶人として刀を抜くしかありません」  ーーよく覚えているな。  ーーそれは覚えております。宗易(利休)、生涯での記念すべき日でございます。あれ(坂本の茶会で初めて太閤さまの御茶頭という資格で席に臨んで)から今日まで足かけ八年、上さま(秀吉)にお仕えしてまいりましたが、いよいよお別れの日となりました。永年に亘っての御愛顧、御温情のほど、お礼の申し上げようもございません。  ーーなにも別れなくてもいいだろう。  ーーそういうわけには参りません。死を賜りました。  ーーそうむきにならなくてもいい。  ーーむきにはなりません。上さまからはたくさんのものを頂いてまいりました。茶人としていまの地位も、力も、侘数寄への大きい御援助も。そして最後に死を賜りました。これが一番大きい頂きものでございました。死を賜ったお蔭で、宗易は侘茶というものがいかなるものであるか、初めて判ったような気がしております。堺へ追放のお達しを受けた時から、急に身も心も自由になりました。永年、侘数寄、侘数寄と言ってまいりましたが、やはりてらいや身振りがございました。宗易は生涯を通じて、そのことに悩んでいたように思います。が、突然、死というものが自分にやって来た時、それに真向うから立ち向った時、もうそこには何のてらいも、身振りもございませんでした。侘びというものは、何と申しますか、死の骨のようなものになりました。  ーーそれはそれでいいではないか。むきにならない方がいい。  ーーでも、上さまは今はそのようにおっしゃいますが、上さまは上さまとして、本気で刀をお抜きになりました。お抜きになってしまいました。そうなると、宗易は宗易で、茶人として刀を抜くしかありません。(183-185頁)  ーーお気に召さないといって、死を下さいました。堺追放をお言渡しになった時、見栄も外聞もなく、上さまは本当の上さまになられました。茶がなんだ、侘茶がなんだ、そんなものは初めからたいしたものとは思っておらん。付合ってやっただけだ。そんなお声が聞えました。上さまが本当の上さまになられたことで、宗易もまた本当の宗易にならねばなりませんでした。お陰さまで宗易は本当に、長い長い間の夢から覚めることができたように思います。(185-186頁)