TWEET「小林秀雄『本居宣長 (上)』_虚弱体質に転落した」
今日の夕方、
◇ 小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫を読み終えた。
「通読を旨とする。再読していくらかでも理解が進めば幸いである」と、勇んで書いてみたものの、心もとない読書に、不安・焦燥感に苛まれすっかり虚弱体質に転落した。
「通読を旨とする。再読していくらかでも理解が進めば幸いである」と、勇んで書いてみたものの、心もとない読書に、不安・焦燥感に苛まれすっかり虚弱体質に転落した。
「話し言葉の力」を駆使、
近代日本最高の知性が
心を満たす、うるおす。
深遠な思索と少年のような熱さ。
そして古今亭志ん生のような軽妙な語り口。
声を聞かなければ分からない、
文字では出会えない小林秀雄がここにいる。
つい最近まで、小林秀雄の文章は難解で読めなかった。解らないものと決め込んで敬遠していた。しかし、常に気になる存在だった。年回りのせいだと思っているが、いまでは、
「小林秀雄の文章のおもしろさは、内容の如何はいうにおよばず、言葉の配列の妙味にある。文章を読みつつ、次におかれた言葉を予測することはほとんど不可能である。破格な言葉づかいもあれば、難解な言葉が配されることもある。また、その一語から景色が一変することもある。
自在であり適材適所であって、小林秀雄の切実さのあらわれである。言語での果敢な挑戦であって、他の芸術に比肩するものである。」(2017/11/27)
自在であり適材適所であって、小林秀雄の切実さのあらわれである。言語での果敢な挑戦であって、他の芸術に比肩するものである。」(2017/11/27)
と思うまでにいたった。
「文章を読まなければ分からない
講演では出会えない小林秀雄がここにいる」
虚弱体質のままに、
◇ 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫
を読み継ぐことにする。
その後、再読する予定である。