「小林秀雄『本居宣長 (上)』_はじめから」
今日の夕刻過ぎには、
◇ 小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫
の、『源氏物語』についての叙述(216頁)まで読み継ぎ、「熱中症」により敢えなく敗退、小休止することにした。初読時に全体を俯瞰しているので、随分明らかになった。
勿論ここにいたるまでには、『源氏物語』についての叙述だけではなく、小林秀雄一流の各論が随所にみられるが、これらに関しては、実際に読んでいただくしかなく、今回は、上記の文章を引用したまでである。
本居宣長と小林秀雄との出会いはすてきである。情趣に目を開かれる思いがする。
快癒を待って、
「小林秀雄『本居宣長 (上)』_はじめから 2/2」
に駒を進めることにする。
◇ 小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫
の、『源氏物語』についての叙述(216頁)まで読み継ぎ、「熱中症」により敢えなく敗退、小休止することにした。初読時に全体を俯瞰しているので、随分明らかになった。
「宣長が、思い切ってやってのけた事は、作者(紫式部)の「心中」に飛込み、作者の「心ばへ」を一たん内から摑んだら離さぬという、まことに端的な事だった。宣長は、「源氏」を精しく読もうとする自分の努力を、「源氏」を作り出そうとする作者の努力に重ね合わせて、作者と同じ向きに歩いた。」(184頁)
また、小林秀雄の本居宣長に対する態度は、宣長の肉声に無心に耳を傾けることであった。そしてそれはそのまま、小林秀雄が、読者である私たちに付託した姿勢でもある。
「彼(本居宣長)の課題は、「物のあはれとは何か」ではなく、「物のあはれを知るとは何か」であった。「此物語は、紫式部がしる所の物のあはれよりいできて、(中略)よむ人に物の哀をしらしむるより外の儀なく、よむ人も、物のあはれをしるより外の意なかるべし」(紫文要領、巻下)(153頁)
「生きた情(ココロ)の働きに、不具も欠陥もある筈がない。それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、損なわず保持して行く事が難しいというところにある。難しいが、出来ることだ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである。彼が、式部という妙手に見たのは、「物のあはれ」という王朝趣味の描写ではなく、「物のあはれを知る道」を語った思想家であった」(154頁)
「彼(本居宣長)の言う「あはれ」とは広義の感情だが、なるほど、先ず現実の事や物に触れなければ感情は動かない、とは言えるが、説明や記述を受附けぬ機微のもの、根源的なものを孕んで生きているからこそ、不安定で曖昧なこの現実の感情経験は、作家の表現力を通さなければ、決して安定しない。その意味を問う事の出来るような明瞭な姿とはならない。宣長が、事物に触れて動く「あはれ」と、「事の心を知り、物の心を知る」事、即ち「物のあはれを知る」事とを区別したのも、「あはれ」の不完全な感情経験が、詞花言葉の世界で完成するという考えに基く。これに基いて、彼は光源氏を、「物のあはれを知る」という意味を宿した、完成された人間像と見たわけであり、この、言語による表現の在るがままの姿が、想像力の眼に直視されている以上、この像の裏側に、何か別のものを求めようとは決してしなかったのである」(214頁)
「物のあはれを知る道」は拓かれていた。
認識を新たにした。式部の見識を知った。宣長の “読み ” に思いをいたした。
「之を好み信じ楽しむ」とは、宣長の学問に対する生涯変わらぬ態度であった。勿論ここにいたるまでには、『源氏物語』についての叙述だけではなく、小林秀雄一流の各論が随所にみられるが、これらに関しては、実際に読んでいただくしかなく、今回は、上記の文章を引用したまでである。
本居宣長と小林秀雄との出会いはすてきである。情趣に目を開かれる思いがする。
快癒を待って、
「小林秀雄『本居宣長 (上)』_はじめから 2/2」
に駒を進めることにする。