TWEET「東京藝大 天才たちのカオスな日常_2/2」

今日の明け方、
◇ 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』新潮文庫
を読み終えました。

「末端は本当に美しくなければならない」
「今の楽器は音程がとりやすかったり、指を動かしやすかったり、大きな音が出たり…進化して、合理化されているんです。バロック楽器はその点、構造が単純で、楽器が助けてくれません。自分の息で、頑張って調整しなければならないことが多いです。でもその分、出せる音色の柔らかさが全然違うんです」
「今のヴァイオリンって、弦はつるつるのスチールなんです。でも古楽器のヴァイオリンは、ガット弦。羊の腸なんですよ。これを弾くとですね、グワッと、凄く野性味のある音が出るんです。バロック楽器は今の楽器よりも生身の人間に近いんです。生きてるもの、自然に近いんです」
「古楽って地味だとか、単純だとか思われてる部分もあると思うんですけど…そんなことないんですよ。凄く激しい、情感のこもった音楽です」
「バロック音楽では、曲の感情を出すことが重視されるんです。イタリア語でアフェット、と言うんですけれど。作曲家の感情でも、演奏者の感情でもなくて、曲の感情。でも、曲の感情を出すためには私たちも感情を知っていなくてはならなくて。曲の感情に共感して、それを出してあげる。それを聴衆にも共感させていく」

二 宮 古楽の奏者たちは、アドリブによって和音を作り、メロディを作り、メロディを装飾して、その場限りの演奏を作っていく。感情を引き出していく。

「演奏する時は、生きたものを出さなきゃって思ってます。今はもう失われた音楽を、その音楽が最も輝ける形で、生きた状態として生み出したいんです」
「それ(古楽がもつ神秘性の表現)ができた時、凄い感動があるんです! 全てが混ざりあうんです。作曲家と演奏家が混ざりあって、聴衆と演奏家も混ざりあって。何だか、宇宙の調和みたいな?」

二 宮 数学や科学が宇宙の深淵(しんえん)に迫れるなら、音楽にだってそれができるのだ。

「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど、その末端は本当に美しくなければならない』って、先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は、音楽の一部になりたいんです」

二 宮 尾上(愛実)さんは透き通って潤(うる)んだ瞳(ひとみ)をこちらに向けて、そう言った。(269-271頁)


 オルガン専攻の本田(ひまわり)さんは、最後にこんなことを言った。
「音楽って、生きていくうえでなくてもよいものなんです。でも、長い年月をかけて発展してきました。やっぱり…なくてはならないものなんだって思います」(271頁) 
 この発言は、岡潔の以下の言葉を彷彿とさせる。
「(数学は)人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい」(岡潔『春宵十話』角川文庫 47頁)
 東京藝術大学の学生の皆さんは、真摯で一途です。
 が、
「何年かに一人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎(いしずえ)。ここはそういう大学なんです」
 入学時、柳澤さんは学長にそう言われたという。(275頁)
 学長は学生に覚悟を迫ったのだ、と思う。
「しかし中には、決意を持って将来を考えていない人もいる」(284頁)
というのだから、摩訶不思議な大学であり、また「同病相親しむ」世界でもある。

以下、
です。