TWEET「無為という殊更な毎日」
◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版
の「読み・書き」を終えた、2022/12/14 から突然変調を来した。
いよいよ次は芭蕉であるとの思いがあった。ところが、芭蕉への思い入れの前に、思わぬ陥穽が待ち受けていた。自虐、自責、呵責、焦燥。芭蕉についての「読み・書き」は課題でもなければ責務でもなく、喜びのはずだった。不可解な、病態然とした何日かを過ごした。事情は深刻だった。受診も考えた。
なにもしないことに決めた。一切を放擲した。常になにかをしていなければ気が済まないという思考こそ、病状であると一人合点した。
危うく難を逃れ、いまにいたっているが、今回の件で、なにもすることがないことと退屈なことは無縁であることを知った。 “退屈しのぎ” に下手に動くことは上等な解決策とはいえまい。いかに脳内を清らかに保つかを考えた方が得策である。自分の思惑で、頭さえ使わなければ、身体は明るくなる、と私は考えている。
ひき続き無為という殊更な毎日を送ることにします。
の「読み・書き」を終えた、2022/12/14 から突然変調を来した。
いよいよ次は芭蕉であるとの思いがあった。ところが、芭蕉への思い入れの前に、思わぬ陥穽が待ち受けていた。自虐、自責、呵責、焦燥。芭蕉についての「読み・書き」は課題でもなければ責務でもなく、喜びのはずだった。不可解な、病態然とした何日かを過ごした。事情は深刻だった。受診も考えた。
なにもしないことに決めた。一切を放擲した。常になにかをしていなければ気が済まないという思考こそ、病状であると一人合点した。
危うく難を逃れ、いまにいたっているが、今回の件で、なにもすることがないことと退屈なことは無縁であることを知った。 “退屈しのぎ” に下手に動くことは上等な解決策とはいえまい。いかに脳内を清らかに保つかを考えた方が得策である。自分の思惑で、頭さえ使わなければ、身体は明るくなる、と私は考えている。
ひき続き無為という殊更な毎日を送ることにします。