真鍋俊照『 四国遍路を考える』NHK出版

◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版
は、P教授から送っていただいた三冊の書籍のうちの一冊である。
 2022/11/22 から読みはじめ、昨日読み終えた。途中に「古社寺巡礼の道行き」(2022/11/23 〜 12/01)があり、いつになく変則的な読書になってしまった。
 本書は、仏教学者である真鍋俊照が書いた小さな学術書であり、安心して読み継ぐことができた。
 
「弘法大使信仰と現世利益」
真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版 
 空海が四国で修行に入ったのは、十八歳ときわめて若かったころのことです。空海は親類の阿刀大足(あとのおおたり)に伴われて長岡京に行き、当時の大学の明経科に入学するのですが、そこでの教育に飽き足らず、悶々とした日々を過ごしていました。そんなとき、空海の前に一人の沙門(しゃもん 僧侶)が現れ、虚空蔵というお経をとなえることで法力を得ることができる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修法(すほう)を授けてくれたのです。そして空海は四国へと渡り、修行に入ります。
 のちに空海が書いた有名な『三教指帰(さんごうしいき)』には、仮名乞児(かめいこつじ)という名で空海自身が登場します。その本の書き出しには四国での修行がいかに苦しかったかが語られていて、とくに三つの修業地のことがクローズアップされています。三つの修業地とは、阿波の太龍岳、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山(石鉄山)のことです。これらはいずれも、現在の八十八ヶ所札所に比定することができます。すなわち、太龍岳は第二十一番太龍寺(たいりゅうじ)、室戸岬は第二十四番最御埼寺(ほつみさきじ)、石鎚山ゆかりの札所は、第六十番横峰寺(よこみねじ)と第六十四番前神寺(まえがみじ)です。(130-131頁)

 四国八十八ヶ所の札所、およそ 1400km にわたる道のりを、私は歩き通す自信も覚悟も持ち合わせていないが、上記の四か寺の他にも、訪ねてみたいところはいくつかある。まず、弘法大師ご生誕の「善通寺」であり、
讃岐での西行の足跡であり、一遍上人 ご生誕の地といわれている「法厳寺(ほうごんじ)」であって、

「遍路に伝わる病気平癒」
真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版 
 明治時代、山本玄峰(やまもとげんぽう)という傑僧が第三十三番雪蹊寺の前で行き倒れになったのです。彼は若いときに眼病を患い、失明に近い状態になってしまいました。その回復を願って、なんと遍路を裸足で七回も続けておこなったというのです。そんな玄峰を見た雪蹊寺の住職が両眼を指さして「心眼を開いて、見よ」と諭し、それで彼は出家し行脚僧になる決心をしたといいます。のちに彼は九十六歳で亡くなりましたが、雪蹊寺は眼病に大きなご利益があるといわれる玄峰塔を建立しました。(124-125頁)

である。また、

辰濃和男『四国遍路』岩波新書
 この寺(五十八番霊場「仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。
 養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)

であり、さらには原始の森、いのちの息吹き、太古の闇、と数えていくと、八十八ヶ所に収斂していきそうな勢いで、少なからずあわてている。

 昨年度は、「師走に『四国遍路』を渉猟する」を書き、「新春に『四国遍路』を渉猟する」を書いた。
2021/12/08 の、
◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書
を嚆矢とし、
2022/01/24 に、
◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫
で結着した。有意義な読書体験だった。
今年 時を同じくして、
◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版
を読むことになろうとは思ってもみないことだった。
 が、今年は空海とではなく、芭蕉と新春の夢を見ようと思っている。