投稿

8月, 2024の投稿を表示しています

TWEET「お仏壇のお引越し」

イメージ
 2024/08/24,「田辺佛具店」さんに、仏壇を移動していただいた。  いたって丁寧な仕事ぶりだった 。専門家にお願いして正解だった。  仏間の背面には、包装紙にくるまれた、3枚の板状のものが立てかけられていた。包装紙を解くと、旧い仏壇の、観音開きの一対の扉と、一対の引き戸が出てきた。祖父と父が作ったものである。30年あまりにわたって慣れ親しんできた仏壇の名残だった。  祖父と父の心中を察すると忍びないが、始末屋の役割を振られた私としては、始末するほかない。  しかし、いくら「即断即決」といい、 「メメント・モリ」 といいつつも、お仏壇だけに、遺品として大切に仕舞っておこうかと思い はじめた。仕舞うのではなく、祖父の手製の文机を、いま 「般若心経」を唱える際の経机として用いているが、その前に据えるのが適当か、と思いつつある。  断章が続きます。

TWEET「早々の台風見舞へのご返礼」

こんにちは。 (愛知県豊橋市では)14時を過ぎたころから、風が出ました。大降りの雨が、東の窓に吹きつけています。縁側の雨戸だけ閉めました。 (台風10号の)進路予想を見ていますが、直撃に近かったり、北寄りだったりと予断を許しません。 (自宅の)解体工事を目前に控えたこの時期に、何事もないことを祈るばかりです。 (愛知県)蒲郡市の土砂災害時には、当地では激しい雨は降っておらず、意外でした。 お心づかい、またご心配、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってくださいね。 ご自愛ください。 勇夫  断片が続きます。

TWEET「阿弥陀仏」

 学生時代から「哲学としての宗教」についての書をずいぶん読んできた。が、還暦を過ぎたいま「宗教としての哲学」への転換期か、と感じている。「宗教としての哲学」には実践がともなう。   2024/0 8/19 以来, 「般若心経」をことあるごとに唱えて いる。ゆったりと丁寧に、声が脳内に反響するようにして、一度に三回ずつ誦んでいる。読経後には平安が訪れるが、それもやがて去る 。平安の内にあり続けるために、称名を唱えるように唱えている。いささか偏執狂的である。 山本空外は、 「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」 と明言している。 そして、 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、  草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。 (中略)  前掲『書と生命』冊中にも、良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも  「空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」 という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁) と書いている。  なお、山本空外、岡潔は、山崎辨栄(べんねい)上人(浄土宗・光明派)に帰依し、湯川秀樹は山本空外上人に帰依している。こういった慎重さ、保証がなければ、臆病な私は宗教(仏教)には近づけない。 龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 また、空外先生は、 「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダ

TWEET「氷室神社」

イメージ
 2023/06/21 興福寺から東大寺・法華堂に向かう途中、東大寺のほど近くに「氷室神社」を見つけた。興味本意で参拝した。  奈良はかき氷が有名である。 「 奈良時代、平城遷都にともなう勅令によって」「 毎年4月1日より9月30日まで」「 献氷(冬の間に作られた氷を宮中に献上すること)が行われるようになり、奈良の地には氷池や氷室が多く造られました」 「氷室神社」はその本社である。 「氷みくじ」があり、 「 氷の上におみくじをのせると文字が浮かび上がる 」  また、コロナ禍のこととて、 の御札 が掲げられていた。  2023/06/25  駐車場から「女人高野 室生寺」に向かう途中、「喫茶 むろう」さんに寄り、かき氷を食べた。メニューはお任せした。宇治抹茶金時が運ばれてきた。 「鉋(かんな)の歯を使っています」 とのことだった。きめ細やかな薄片の氷が幾重にも重なっていた。急いで食べても頭が痛くならず、不思議だった。店主に聞くと、 「井戸水を使っていますから。皆さん、そう言われます」 とのお応えだった。鉋の歯にも秘密があるように思えてならなかった。  同じ町内にある「餅昌」さんで、かき氷をいただいた際にも頭が痛くならなかった。尋ねると、 「きめ細かな氷に空気が程よく含まれていますから、でも頭が痛くなるときもあります」 と奥さんは笑っていた。  また、「デニーズ」さんのメニューには、 「デニーズのかき氷は、不純物のきわめて少ない最高純度の「純氷」を使用し、やわらかな食感と繊細な口どけにこだわりました」 「純氷とは?」 「非常に純度の高い水を、時間をかけてゆっくりと凍らせた氷のこと」「 ふわふわとした繊細なくちどけをお楽しみください!」 と書かれていた。試食しないわけにはいかなかった。頭は痛くならなかった。店長さんに話すと、店長さんは、こめかみを人差し指で指し、笑みを浮かべていた。はじめて知った風だった。 「氷室神社」参拝以来、かき氷通になったかといえば、そうでもない。  断片が続きます。

TWEET「般若心経」

 昨日の午後、久しぶりに「般若心経」を唱えた。何遍か誦んだ。その後には、脳内にかかった靄が晴れた。思惟することを忘れ、平安の内にあった。考えることの功罪について、いま思いを巡らせている。 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 の帯には、 「意味から響きへ、理解から感応へ。 262文字のこころを体感する。 いのちの 全体性へ。」 と書かれている。「意味」や「理解」ではなく、「響き」であり「感応」であり「体感」である。  2023/06/06(鑑真和上の命日)に唐招提寺の本堂で昌和した、いのちの律動の調べとでもいうべき「般若心経」との出会いは尊かった。これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことだろう。たいへんな体験だった。  忘れものを見つけた。それは思い出しさえすればよかった。大切なものは、やはり目には見えなかった。  断章が続きます。

TWEET「Rider 420」

 2024/03/26,「Amazon」で、「Bryton」のサイクルコンピューター(サイコン)「Rider 420」を購入した。サイコンとは自転車に特化したナビ(ゲーション)のことである。  確かに「Google Maps」は優秀なアプリだが、長時間の使用に耐えない、防水性に欠ける 等、こと自転車にかぎっていえば、使い勝手が悪い。 「Rider 420」の画面上では、出発地と目的地が一本の線で結ばれる。背景はない。後はトレースしていくだけである。いたってシンプルであるが、自転車では、このシンプルさが優位に働く。 「Rider 420」は、通行量の少ない路を指し、勾配の緩やかな坂道を示す。はじめての道、道幅数メートルの抜け径を指示することもある。やはり 「Gooole Maps」とは設計思想が違う。  裏道・裏街道を走るの は楽しい。思わぬ見つけものもある。  常に裏道を歩いてきたつもりでいたが、まだまだ裏には裏があることを知った。  断片が続きます。      

TWEET「風に吹かれて」

 ペダルを回せば風が生じる。私はこの風に吹かれるのが好きだ。下り坂はもちろん、平坦な道でも、私はあまり自転車をこがない。移動は慣性にまかせて、風を感じている。  今日の午前中には、買い出しに、いつもと同じ道をいつもと 同じ順路で、「(フォールディング・eBike)Vektron S10」に乗っていった。風に吹かれることが目的だった。たいへんな時間がかかったのは当然のことである。  酷暑の最中(さなか)に吹く風は熱風であるが、それでも風に当たりたいと思う。風に吹かれていたいと思う。  断章が続きます。

TWEET「毒には毒を」

2024/08/11 には、 TWEET「(クロスバイク)シャイディク TR-X」 を書き、その翌日には、 TWEET「( フォールディング・eBike) Vektron S10」 を書いた。 「Vektron S10」を折りたたんで遊んでいると、急に出かけたくなった。そして、自転車での気ままな散歩(ポタリング)を楽しんだ。 昼下がりの最も暑い時間帯のことだった。 気づくと、施錠を忘れ、草履ばき、財布もスマホもチェーンロックもなにかも持たず空手だった。喉を潤すこともできず無防備だった。  帰宅後,「Vektron S10」から「シャイディク TR-X」に乗りかえた。今回はポタリングではなく、田辺仏具店さんに仏壇の引越しをお願い することと、故あっての連日の お墓参りという明らかな目的があった。  帰路、500ml のミネラルウォーターを セブンイレブンで買い 、店先で飲み干した。  毒を以て毒を制す。  酷暑を以て酷暑を制す。  酷暑対策には、酷暑の内に積極的に身を置くという懐柔策もあることを知った。  移動手段としてだけの自転車ではとてもできない荒業だった。遊び心のあるバイクを選択し正解だった。  断片が続きます。

TWEET「私の文章作法」

 私の「文章作法」を端的にいえば “無作法”ということになる。  文章の題名から梗概までを、常に仰向きに寝て考えている。ものぐさであり、無作法である。  こうして粗筋でき上がると、やおら起き上がり、後は PC に向かって文章にするだけである、かといえば、そう上手くはいかない。文章は思いもかけない方へ飛び火し、展開していく。その度に煮詰まり、無作法に無作法を重ね、天を仰ぐことになる。  文章が次第に形をなしてくると、さすがの私も居ずまいを正さざるを得なくなる。文章を概観する必要が出てくるからである。  結びの一文を考える際に、仰向きになることはまずない。無作法と縁を切る時節である。  その後には、 際限 のない推敲が待っている。時を稼ぐこと。力みのない、弛緩した体で臨むことが「私の推敲作法」である。  断章が続きます。

TWEET「Vektron S10」

イメージ
 2024/03/12,「スポーツデポ 豊橋店」で、「tern」のフォールディング・eBike(折りたたみ式・電動アシストユニット付きスポーツバイク)「Vektron S10 マットブラック」を購入した。2台目のバイクである。    店長さんのHさんご夫妻も乗られ、サイクリストの聖地「しまなみ海道」や「浜名湖一周」等々のサイクリングを楽しまれているという安心感があった。「10万円キャッシュバックキャンペーン」中のことだった。 前項の  TWEET「シャイディク TR-X」 で、「変速機さえ調節すれば、上り坂でも、ほとんど脚に負荷がかからない」と書いたが、所詮「仕事の原理」からは免れることはできず、ペダルをくるくる回す必要がある。しかし 「Vektron S10」は、平坦な道を走るかのように、ハイギアで上り坂を登ることができる。   “脱クルマ” を目指しているが、暑いの寒いの、雨だの風が強いだのといっていて は到底かなわない。  酷暑のいま、玄関に2台の真新しいバイクが、お行儀よく並んでいる。それは、中古自転車の展示コーナーでも見るかのようである。  断片が続きます。

TWEET「シャイディク TR-X」

イメージ
 2023/05/12,「モンベル 浜松店」で、クロスバイク「シャイディク TR-X アイボリー」を購入した。  詳細は後日に譲るが、駆動部の摩擦係数はゼロにちかく、変速機さえ調節すれば、上り坂でも、ほとんど脚に負荷がかからない。「バイク」と「自転車」とは似て非なる乗り物だと感じた。 「駐輪する際には、必ず『サイクルライト』を取り、TR-X は前輪を外せますので、前輪と車体を『チェーンロック』で留めてください。そうしないと盗まれます」 とAさんは言った。 「それだけですと、自転車ごと盗まれる恐れがありますので、道路標識や駐車場の柵などに、別の『チェーンロック』で 留めて(地球ロックして)ください」 「それでもチェーンカッターで、『チェーンロック』を切られたり、部品を盗まれたりします」 Aさんの説明は微に入り細に入りしていたが、 「では、どうすれば盗まれないんですか」 と聞くと、 「運だけです」 との明快なお答が返ってきた。  運を味方につけるには心がけ次第、ということか。  そこそこのクロスバイクなので、そこそこの心がけで間に合うだろうと勝手に決め込んでいるが、私には、その「そこそこ」が難しい。  断章が続きます。

TWEET「変食」

 同じ道を同じ順路で、毎日車で巡っている。私の買い出し、私の生活道路・私の塩の道である。  毎日同じものを仕入れ、同じものを食し、という食生活を送っている 。この極端な偏食は数か月の間続くのが常である。そして、新たな “変食” がはじまる。  が、インスタント食品、惣菜、調理パンの類は口にしない。これでも少しは健康に気を使っている。ちなみにいまの食の内容は、 ◇「鞍馬にぎり」の「うめ」× 2個  ◇「北海道八雲町牛乳(生乳100%使用、成分無調整)」 ◇「小岩井 生乳100% ヨーグルト(400g)」 ◇「国産(中粒納豆)」(全国納豆鑑評会 最優秀賞・第25回 R2.2.21 熊本大会) である。  それに嗜好品として、 ◇「ファミリーマート」の「アイスコーヒーM」と 「Peace SUPER LIGHT」 が加わる。  栄養のバランスを欠くことは承知しているが、いまのところ健康体でいる。栄養素には補完作用があるのだろうか。  それに加えて、 鯨飲馬食。たとえば 「小岩井 生乳100% ヨーグルト(400g)」を、1日に3つ、4つと食す日がある。お通じはよくなるが、下痢をしたことはない。他の食物についても、ときに暴飲暴食をしている、といえば変食も本物だろう。  私は変食を礼賛しているわけではない。ただ世の中には、 変食を満更でもないと考えている輩がいる ことを、知っていただきたかっただけのことである。  断片が続きます。

TWEET「杞憂」

  書を読まなくなって久しい。  趣味の書ではなく、主に人間一般の、また全般の実学の書を読みついできただけにこの痛手は大きい。が、書に手が伸びないので、書を手にしようがない。  自宅の解体工事のことが心に重くのしかかっている。もう少し正確にいえば、地震による倒壊とその被害を恐れている。杞憂だと、笑わば笑え。いくら笑われようが、杞憂ならばそれで結構である。  心の平安を欠いては書は読めない。  書を読まないことによる自責の念だけはもたないように気をつけている。  断章が続きます。 追伸:  2024/08/08 16:43ごろ、宮崎県で最大震度6弱を観測する強い地震があった。ブログを書き終えた直後のことである。とてもひと事とは思えない。  お見舞い申し上げます。  その後 間もなく「南海トラフ地震臨時情報」が出された。

TWEET「紫煙をくゆらす」

 いまだに紫煙をくゆらせている。いつの間にか嫌われ者になり、片隅に追いやられた。  いずれ煙草は覚醒剤扱いの薬物に指定されるだろう。もしそうなれば潜航するのは明らかである。いかがわしい組織から法外な金額で購入し、人目を避けて吸う。反社会的で隠微な世界である。  法によって私たちは護られている以上、法を遵守するのは当然のことである。やはり禁煙するしかないだろう。  ぐるりを見渡せば、喫煙以上に健康を害するものは幾つも見つかる。私たちにとって最も健康に悪いのは “生きている こと”であると思っている。中学生を対象とした個人塾を営んでいたころには、皆さんにとって最も健康に悪いのは “学校に行くこと”です、と言って憚らなかった。  いまでもこれらの持論に変わりはない。  断片が続きます。

TWEET「作文の練習帳」

 断片・断章を書き 連ねているが、これらは作文の練習帳である。書かなかった空白の時間の埋め合わせ、私のリハビリである。  形容詞を極力避け、素っ気ない文章を書くように心がけている。 “間”を “含蓄”を大切に思うからである。  盛夏の青空を自由に翔けることができるようになるだろうか。失墜し花と散るかもしれない。行方は不分明である。  断章が続きます。

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され、79年になります。  原爆はいまだに、 “抑止力としての核 ” として使用され続けています。  私は、 “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治に、キリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は、所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。汎用性が高いとは、専門性に欠け、空手で虚ろ、という意味です。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作は、いまなお新しく、身につまされます。「永遠の今」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っております。

TWEET「政治的手法」

  私は 政治に疎い。  しかし時に、政治的手法に、キリスト教的倫理観は通用しないことくらいの認識はある。  政治は必要悪だと思うこともある。必要とあらば悪にも手を染める。反省もなく、必要悪を盾にとった為政は危険をはらんでいる。認識の差異が各種紛争の火種に なる 。  また、政治はゲームだと思うこともある。海千山千の政治家たちによる、虚々実々の駆け引き、落とし所を探る交渉はゲームさながらである。  当ブログではじめて政治について触れた。所詮私の出番ではなかったような気がしている。  断片が続きます。

TWEET「炎暑のささやき」

 近年の盛夏の陽光には閉口している。  エアコンを点けた部屋に閉じこもるしかない。室内は適当な温度・湿度に調整され、いつの季節よりも快適な空間をつくり出している。何をするにもよい時節である。そのことを忘れてはならないと思う。  炎暑の口車に軽々しく乗ると、ただ暑いだけの夏に終わってしまう。  断章が続きます。